ウェイン・ショーターといえば、マイルス・デイヴィスとの共演や、ジャズ・フュージョン界のスーパー・グループ、ウェザー・リポートの結成メンバーとして知られているかもしれない。しかし大ヒットしたアルバムを何枚もリリースするのと時を同じくして、ショーターはコンセプチュアルなソロ・プロジェクトにも傾倒していた。1970年代初頭、彼はフリー・ジャズとブラジリアン・フュージョンを取り入れたアルバムをブルーノートからリリースし、高い評価を得ていた。

1960年代末、ジャズはその地平を全速力で広げていった。その分裂の頂点にいたのが、マイルス・デイヴィスが「知的な音楽の触媒者」と称賛したサックス奏者ウェイン・ショーター、その人だ。1964年以来、ショーターはマイルス・デイヴィスの第二期の偉大なクインテット、いわゆる黄金のクインテットの中心人物であり『イン・ア・サイレント・ウェイ』や『ビッチェズ・ブリュー』といった歴史的なセッションでグループを導いてきた。

ショーターは、マイルスの黄金のクインテット在籍期間と並行して、ブルーノートでの自身のセッションを率いていたが、1969年頃にはマイルス初期のフュージョン・アルバムの決定的な成功に後押しされたのか、彼は芸術面で自信を持ち、自身の音楽を違う方向へ進めようとしていた。ジャズとロックが怒涛のごとく押し寄せる『ビッチェズ・ブリュー』ではカオスの渦に陥る寸前だったが、マイルスは常にバンドを厳しく管理していた。これはショーターのアプローチとは実に対照的だった。

ミシェル・マーサーによるショーターの伝記の中で、ベーシストのデイヴ・ホランドは、「マイルスは、バック・トラックをかなりはっきりさせておくのが好きだった。彼はグルーヴを一貫して保つのが好きで、グルーヴを揺るがしたり、伸縮性を持たせたりはしなかった。そして曲のフォームにも固執していた。彼の演奏に自由度があるのは明らかだが、対照的にウェインは何が起きても良いように準備していた。この違いが、ウェインの音楽がマイルスより少しだけ自由だ、と私たちに感じさせる要因だ」と語っている。

1969年11月2日、BBCのテレビ番組「Jazz Scene」のためロンドン、ソーホーにあるロニー・スコッツ・ジャズ・クラブで撮影された一枚。マイルス・デイヴィス、ピアニストのチック・コリア、ベーシストのデイヴ・ホランド、ドラマーのジャック・ディジョネットとともにステージで演奏するウェイン・ショーター。Photo: David Redfern.

1969年、ショーターはマイルス以上のカオスを受け入れることを厭わずに、11枚目(ブルーノートでは7枚目)のソロ・アルバムとなる『スーパー・ノヴァ』をリリース。このアルバムは、そのわずか1週間前にレコーディングされた『ビッチェズ・ブリュー』セッションの真夜中のジャム・セッション版のような仕上がりになっている。しかし、この作品は過去ブルーノートからリリースされたショーターのどのアルバムとも違う仕上がりになっている。特にアントニオ・カルロス・ジョビンの「ジンジ」のカヴァーでは、パーカッショニスト、アイアート・モレイラの存在もあって、ブラジリアンとアフロ・キューバンのリズムと楽曲構成の追求が行われている。

ウォルターとマリア・ブッカーによるデュエットで演奏された後、バトゥカーダ・ドラムのワークアウトへと展開する「ジンジ」は、マリアの声が嗚咽を漏らすほど情感に溢れている。このカヴァーは、ショーターが音楽で捉えたかった「感情」「魂」「心象風景」への探求といったものが表現されている良い例である。

「魂」は、ショーターが次のアルバム『オデッセイ・オブ・イスカ』で再び採り上げるテーマである。ライナーノーツでショーターは「イスカとは風だ。何の痕跡も残さずに行ったり来たりするそよ風のようなもので、ナイジェリア語だ。正確にはナイジェリア語ではないが、詩的な表現だ。人生を送る人々の魂の移り変わりを表し、一生とその後に起こることを象徴する、絵画的で音楽的な旅のことだ」と語っている。

ショーターの娘イスカは1969年9月に生まれたが、悲劇的なことに衰弱性発作を患っていた。このことがショーターにとってある種の動機となっていたのであろう。彼はより深い精神的な響きを持つ音楽、より長いフォームの和声的空間による即興演奏、肉体に依存しない音楽を追い求める様になった。ショーターの作品は自由でありながら決意に満ちていた。『オデッセイ・オブ・イスカ』を構成するワールド・ビート、フリー・ジャズを作り上げると同時に、彼はマイルスのグループから脱退することを決意する。

他のプレイヤーとの共同作業ではショーターはしばしば後方に座り、自由に楽曲を演奏させ、その様子を眺めていた。しかしショーター自身はその間に、瞑想や連続体との交信により楽曲の構想を脳内でまとめていた。『オデッセイ・オブ・イスカ』やそれに続く『モト・グロッソ・フェイオ』のようなアルバムでは、瞑想的で、精神的で、ピースフルで、少し神秘的なショーターというミュージシャン、そして日蓮宗の仏教徒である彼の姿をよりはっきりと垣間見ることができる。

ウェザー・リポートのツアー中、ある友人がショーターに時間がないか尋ねたところ、彼は宇宙と相対性理論について話し始めたという話がある。ジョー・ザヴィヌルがやって来て「ウェインにそんなこと聞くなよ。今は午後7時6分だよ。」おそらくコルトレーンの次に偉大なソプラノ奏者であるショーターは、常にメロディックに動き続けていたかもしれない。
が、高次元の精神世界こそ、彼が最も寛いでリラックスできる場所だったのだ。

ウェイン・ショーター、『ウェザー・リポート』、ロンドン、1976年。Photo: Brian O’Connor/Image of Jazz/Heritage Images.


マックス・コールはデュッセルドルフを拠点とするライターで音楽愛好家であり、レコード会社やStraight No Chaser、Kindred Spirits、Rush Hour、South of North、International Feel、Red Bull Music Academyなどの雑誌に寄稿している。


ヘッダー画像: ウェイン・ショーター。Photo: Michael Putland via Getty