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1939年、ドイツ系ユダヤ人のニューヨーカー、アルフレッド・ライオンがブルーノート・レコードを創設したとき、彼は自分がジャズ史において最も重要なレーベルの一つを設立したとは知る由もなかっただろう。85年経った今でも、この象徴的なレーベルの過去、現在、そして未来はジャズの中心にある。
ブルーノート・レコードの歴史を語るため、ここでは輝かしい85年間の重要な瞬間、画像、ストーリー、アルバムを紹介する。
ブルーノート・コンスタレーション
ブルーノート・レコードのきらめく宇宙を探検しよう。20ブルーノートの85周年を記念して、ブリストルを拠点に活動するイラストレーター兼デザイナーのパッチ・D・キーズが、ブルーノートの主要人物に敬意を表し、星座図を模した「ファミリー・ツリー」を制作した。
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![イラストレーターのパッチ・キーズによるブルーノートの主要アーティストの集合。](https://www.everythingjazz.jp/wp-content/uploads/sites/3/2024/11/BLUE-NOTE-A2-RGB-AMENDED_Web-Res-724x1024.jpg)
ブルーノートのベスト・アルバム85選
ブルーノートの名盤たち
ブルーノートのアーカイヴには1,000枚を超えるアルバムがあり、レーベルのディスコグラフィの中で重要なレコードやアーティストを定義するのは不可能に近い作業だが、ここでは誰もが知っておくべき85枚を編集部が選出。
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時代を超えたブルーノート
ハード・バップの本拠地
All photographs: Francis Wolff / Blue Note Records.
第二次世界大戦後には、ブルーノートは確固たる地位を確立し成長を続けていた。写真家のフランシス・ウルフはアメリカに移住し、プロデューサーのアルフレッド・ライオンと手を組んだ。二人は協力して、ミュージシャンと仕事をし、彼らを大切に扱うレーベルとしてブルーノートの評判を築き上げていった。
ニューオーリンズのサックス奏者/クラリネット奏者の先駆者シドニー・ベシェのような伝統的な名前もまだ人気があったが、ピアニストのセロニアス・モンク、サックス奏者のアイク・ケベック、ドラマーのアート・ブレイキー、ピアニストのホレス・シルヴァーやバド・パウエルといったアーティストたちがブルーノートに居場所を見つけ、バップという新たな美学を取り入れた。バンドはより小規模になり、ソロはますます巧妙になり、作曲はハーモニーが複雑で挑戦的になっていった。ジャズは相変わらず激しくスウィングしていたが、ダンスフロアで楽しむというよりは、じっくりと耳を傾けることに重きを置いていた。
すぐにジョン・コルトレーン、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、リー・モーガン、そして影響力のあるピアニスト兼プロデューサーのデューク・ピアソンらもレーベルに加わった。
伝説のレコーディング・エンジニア、ルディ・ヴァン・ゲルダーは、この時代のブルーノート史における重要人物だった。ニュージャージー州ハッケンサックにあった実家での最初のスタジオから、イングルウッド・クリフスに建てた専用スタジオまで。ニュージャージー出身の彼は、レコーディング技術を完璧なものにするために何千時間もの時間を費やし、1950年代半ばから10年以上に渡り、ほとんど全てのブルーノートのセッションをこなした。
ブルーノートでは、揺るぎない情熱を持ったクリエイティヴ・リーダーシップのチームが指揮を執り、スタジオには世界最高のミュージシャンが揃っていた。彼らは共に、ジャズの歴史に極めて重要な一章を書き記すことに貢献した。
印象的なアルバム・ジャケット
21世紀において、フランシス・ウルフがジャズのために撮影した写真ほど、あるムーブメントや文化の代名詞となる作品群は珍しい。ブルーノートのために撮影されたウルフの写真の中から、編集部がおすすめをピックアップ。
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素晴らしきバップの世界
多くのジャズ愛好家にとって、ブルーノートといえばバップだが、ハード・バップとポスト・バップを分けるのは難しい。音楽的に豊かでジャズ史において極めて重要なこの時代を、あなたのバップ・コレクションを構築するための決定的なアルバムとともに紹介。
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1970年代
ハード・バップの人気がフュージョン、ジャズ・ファンク、フリー・ジャズ、スピリチュアル・ジャズへと移行する中、ジャズのサウンドは1960年代を通じて変遷を遂げた。1971年、ブルーノートはレーベルの共同創設者フランシス・ウルフからジョージ・バトラーに引き継がれ、ソウル、ゴスペル、サイケデリア、ファンクの影響を取り入れた新たな章に入った。このリーダーシップと音楽的方向性の変化は革命的であり、永続的な遺産を遺した。
ブルーノートを一変させたジョージ・バトラーの功績
1970年代初頭までに、ブルーノートはすでに新たな境地に達していたが、ブルーノートのサウンドを一変させることになったのは、身長180センチで風采の高いジョージ・バトラーの登場だった。
フランシス・ウルフの死去に伴い、ユナイテッド・アーティスツ・レコードでソウルやゴスペルのプロデューサーとして活躍していたバトラーには、時代に合った音楽をリリースする自由な裁量が与えられた。
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ドン・ウォズと共に見つめるジャズの未来
2011年、プロデューサー、ベーシスト、作曲家のドン・ウォズがブルーノートの社長に就任することが発表された。ドン・ウォズは、ローリング・ストーンズ、ソロモン・バーク、ボニー・レイット、ジェイソン・モラン、ボブ・ディランなど、あらゆるアーティストと仕事をしてきた。またグラミー賞も数多く受賞している。
ウォズの指揮の下、ブルーノートは繁栄を続け、音楽の新境地を切り拓いてきた。ブルーノートにおける彼のリーダーシップは、グレゴリー・ポーターとの契約に表れている。ジョシュア・レッドマンやミシェル・ンデゲオチェロ のような定評のあるアーティストたちは、このレーベルに新たな居場所を見つけ、音楽評論家から絶賛されるアルバムを制作している。世界的スター、ノラ・ジョーンズは2002年の最初のメガヒット・アルバム『ノラ・ジョーンズ(原題:Come Away With Me)』以来、創作の自由とパートナーシップを模索し続けている。一方、ジョエル・ロス、イマニュエル・ウィルキンス、ドミ&JD・ベック、アーロン・パークス、ジュリアン・ラージ、コーシャス・クレイ といった若い世代のアーティストたちがジャズの炎を燃やし続けている。
伝説は続く:ドン・ウォズとブルーノート・レコード
ドン・ウォズはジャズ界で、いや音楽業界全体で最高の仕事をしているのではないだろうか?
ブルーノート・レコードの社長として、彼はジャズの歴史における大きな1ページの立役者であり、その未来の設計者でもある。アンディ・トーマスがドン・ウォズと対談する。
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ブルーノート@85コレクション
2024年は創立85周年。シーンをリードし続ける史上最強ジャズ・レーベルをご紹介。
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