「沈黙の次に美しい音」――これはECMレーベルのコンセプトを端的に表す言葉だが、この日、ギタリストのヤコブ・ブロが聴かせたサウンドもまた、無音と有音が等価であるような静謐極まりないものであった。音のない部分にも“無音”という音符があるような演奏だった、と言ってもいいだろう。彼にとっては弾かないこともまたひとつの自己主張であり態度表明なのだと思う。いや、それはもしかしたら美学と呼んでもいいかもしれない。そこにギターの音が必要ないのなら、自分が加わる必要はないと思っているんだ――ライヴ前のインタビューでそう語ってくれたのが幾度となく脳裏をよぎる。
ヤコブ・ブロはデンマーク生まれのギタリスト。ECM三大ギタリストといえば、かつてはラルフ・タウナー、テリエ・リピダル、ジョー・アバークロンビーを指したが、今ならば、ドミニク・ミラーやウォルフガング・ムースピールと並び、ヤコブ・ブロの名前を挙げるべきだ。それほど彼の存在は、ECMオーナーのマンフレート・アイヒャーにとってもなくてはならないものとなっている。今回の来日公演は、10年前にリー・コニッツらと録音した音源『テイキング・ターンズ』がそのECMから出る直前のタイミングで行われた。
ヤコブは自由で柔軟な音楽観の持ち主だ。ビョークの『ヴェスパタイン』にも参加したトーマス・ナックと共演盤をリリースする一方で、リー・コニッツ、アンドリュー・シリル、ポール・モチアンといったレジェンドとも即興演奏を繰り広げてきた。この日のライヴでも顕著だったが、虚空をたゆたうような浮遊感溢れる音色はアンビエント的でもある。実際、彼はアンビエントやミニマル・ミュージックやエレクトロニック・ミュージックを、ジャズと同時に大量に摂取してきたという。
脇を固めるのは、アンデルス・クリステンセン(b)とホルヘ・ロッシ(ds)。ロッシは、ブラッド・メルドー・トリオにおけるジェフ・バラードの前任者であり、ラリー・グレナディアとリズム隊を組んでいた猛者。彼もまた、冒頭で述べたようなヤコブの音楽観に深く共鳴するサウンドを奏でる。そのプレイは、アンチ・スウィングなドラム、と言ってもいいかもしれない。ビートというよりはパルスを重視し、ベタなキメを回避。たゆたうようなグルーヴというべきか、シンバル類を効果的に使用し、さざ波を立ててゆくのが印象的だった。
ベースのクリステンセンは、輪郭のくっきりとした音色と繊細なプレイが特徴。常にヤコブやロッシの関係性の上で自分が何を成すべきかを熟知しているといった様子で、押すところは押す、引くところは引く。そのメリハリが的確だから、3人のアンサンブルを壊すような野暮なことはしない。下手に目立ちたがることもないから、ベースが必要ないと思った場面ではさっと身を引くところも見られた。その瞬時の判断力と直感こそが、ヤコブが見込んだ才能なのは間違いないだろう。
ヤコブが日本の文化をひいきにしており、日本語が堪能だからというわけではないが、まるで水墨画のような音世界である。そこには、引き算とシンプリシティの美学があり、もしかしたら禅の精神からの照射もあるのかもしれない。精神が浄化されるような音、というと大袈裟に聴こえるかもしれないが、ライヴが醸すアトモスフィアは透明で澄み切っており、それを吸い込むだけで彼らと空間を共有することの愉悦を感じられたのだった。
もう少しヤコブのプレイに触れよう。まず、その音色の美しさに息を呑む。ジム・ホールなどにも通じるクリーン・トーンでは、ピッキング・ハーモニクスを多用し、巧妙にアクセントをつけてゆく。エフェクターのループ機能を十全に活用したりすることで、音色をなだらかに変化させるのだ。途中、ディストーションを効かせてアグレッシヴに迫る場面もあったが、お約束の起承転結や序破急に陥ることはない。むしろ彼は、そうした、即興演奏にありがちな定型や定石を、周到に回避しているのではないだろうか。
また、インタビューで影響を受けたミュージシャンとして、トーク・トークのマーク・ホリスのソロ作を挙げていたのに得心した。トーク・トークはいわゆるポスト・ロックの先駆け的存在として昨今再評価が進んでいるバンド。ホリスのソロは音響構築の妙に長けており、深いアンビエンスを活かした空間構成が特質である。そして、行間や余白を重要視し、音と音の隙間や間を充分に取るように心がけていたこの日のヤコブのプレイは、明らかにホリスの影響下にあった。なお、ホリスはヴォーカリストとしても美麗な歌声の持ち主だ。ヤコブはヴォーカルこそとらないものの、そのプレイはうたごころに満ちており、ギターのフレージングは時に極めてメロディックであった。
ちなみに、来年2月にはヤコブやリー・コニッツらのレコーディング風景や日常を切り取ったドキュメンタリー映画『ミュージック・フォー・ブラック・ピジョン』が公開される。この映画のテーマはずばり、過去の豊穣な音楽を未来へバトンタッチしてゆくことの尊さと大切さと見た。そしてそれは、ヤコブが実践していること、そのものである。ポール・モーシャンやリー・コニッツ、トーマス・スタンコなど、ヤコブと関わりの深かったミュージシャンたちがここ数年、相次いで逝去しているが、そうした先達の音楽遺産をヤコブが継承しているのは明白である。そして、それは未来へと繋がってゆくことだろう。その行く末を見守ろうではないか。
ヘッダー画像含む写真提供/COTTON CLUB、 撮影/ Tsuneo Koga