2023年の11月にジュリアン・ラージを取材した際、ジャズ・ギターの歴史について語ってもらった (記事はこちら)。

バンジョーの話を出発点にエディ・ラングやチャーリー・クリスチャン、ジャンゴ・ラインハルトやオスカー・ムーアの話を経て、最後はデレク・ベイリーの話になった。この話をしたのはジュリアン・ラージを解明するためにはジャズギターの歴史をひとつずつ掘り下げる必要があると思ったからだ。ただ、さすがに一度の取材では網羅しきれない。ということで、今回はその続きをやることにした。つまりこの記事は「ジュリアン・ラージのジャズ・ギタリスト講座 Vol.2」ということになる。

ここでは話に出たのはラルフ・タウナー、レニー・ブロー、ビル・フリゼール、アラン・ホールズワース、ジョン・マクラフリン、ガボール・ザボ、ボラ・セチなど。ある意味ではオルタナティブな存在が並ぶがジュリアン・ラージの音楽を解き明かす鍵を探すために今回はこういった内容で話を進めてみた。

とんでもなく饒舌に話してくれたのだが、改めて彼の博識ぶりに驚きっぱなしの取材だった。

―― 一年前に日本で取材した際に僕はジャズギターの話をたくさん質問したんですよ。

ああ、そうだったね。

――その記事がすごく好評だったんです。デレク・ベイリーについても語っている記事があんなに読まれるとは思わなくて驚いたんですが

ははは(笑)ほんとだよね。もっと多くのアメリカの読者にも、デレク・ベイリーのことを読んでほしいよ。みんな読むべきだ。

――今日はその時の続き的な感じで、またジャズギターの話を聞きたいです。

いいよ。なんでも話すよ。

――そのインタビューであなたは「ある時期にギター自体の進化が止まり、それ以降はギタリストがいろんなバージョンのギターを使うようになった」という話をしてくれました。その時に名前が挙がったのがラルフ・タウナーです。彼はどんなところがすごかったんでしょうか?

ラルフ・タウナーは何よりもまずミュージシャンだったんだ。たまたまギタリストであるけれど、実は優れたピアニストでもあり、作曲家でもあった。その意味で僕にとってのヒーローだね。アーティストであり、クリエイティヴなミュージシャン。ギターは彼にとっては(メインの)ツールだけれども、彼の生み出すものすべてはギターで定義されるわけではない。あくまでも表現の一つなんだよね。バンドが表現の一つであるように、楽曲も、ピアノもすべては表現手段に過ぎないんだ。実はギタリストにとって、それってすごく重要なこと。ともすると僕らギタリストは、ギターだけに集中しがちだから。でもラルフの視野はずっと広くて、開かれていたんだ。

――本人に会ったことはありますか?

12歳くらいの頃、一度だけ。父と一緒にね。とても優しく接してくれたよ。アコースティック・ギターをソロだけでなく、アンサンブルでも使いこなしていて、それにかけての達人だった。また、キャリアを通じて、音が大きくなることもなかった。常に親近さがあって、そこにすごく惹かれるし、僕自身、エレクトリックギターでやりたいのはそういうことなんだ。どうすれば、リスナーを圧倒するのではなく、リスナーを招き入れられるか…。ラルフ・タウナーはその最高の手本だよ。

――彼はビル・エヴァンスに憧れていて、ギターを使って、ピアノ的なサウンドなど、いろんなことを模索していた人だと思います。

同感だ。

――あなたもギター以外の楽器の演奏家に憧れて、何かをやろうとしたことはありますか?

あると思うよ。今、最初に思い浮かぶのはオーネット・コールマンだ。すべてのサックス奏者がオーネット・コールマンみたいに吹けるわけじゃないわけで「あの自由度はどこから生まれるんだろう?」と考えることがある。同じことはデューイ・レッドマンからも感じる。あと、クラシックピアノ奏者のマルタ・アルゲリッチ。僕はクラシックを演奏するわけじゃないけれど、彼女が速いテンポで演奏する時の、情熱的だけどエゴがなく、決してマッチョでもなくて、軽薄でもなく、魂からの、官能的なプレイ…そういう資質をいつも目指しているよ。また、チャーリー・ヘイデン、ウィルバー・ウェア、今回も一緒のホルヘ・ローダーなどベース奏者からも、多くを学んでいる。同じ弦楽器の仲間として、偉大なベース奏者たちの楽器の動き、タッチ、推進力はすごく手本になるんだ。

――あなたはクラシックギターを学ばれたことがあるんですよね?

うん、ほんの少しだけなんだけど。

――ラルフ・タウナーはクラシックギター的でもあるんですが、彼の奏法はクラシックギターというよりは、その手法を活かして新しいことをしたと言いますか…

その通り。つまりはクラシックギターの真髄というか、ギターが正当なコンサート楽器であり、それ単独でステージに立つ価値ある楽器だと見なしたんだよ。セゴビアがギターを正当化したのと同じようにね。それがどれほど僕たちにとって重要だったことか!ピアノやヴァイオリンは当然コンサートのステージにあるべき楽器だと見なされているけれど、ギターはそうとは限らない。まだ歴史の短い、若い楽器だということもある。ラルフ・タウナーの演奏には、ギターを信じる人間としての権威とでも言うのかな。「ギターには意味があり、重要で、パワフルな楽器なんだ」って信念が感じられたし、それが演奏に表れていた。どんな他の音楽以上に、クラシックのトラディションから来ているんだと思う。もしかすると僕の思い過ごしかもしれないけど。

――ラルフ・タウナーとは違うスタイルのジャズギタリストで共通点がある人だと、レニー・ブローが浮かびます。お好きですか?

レニー・ブロー!素晴らしいよね。彼は僕にとって重要なギタリストなんだ。『Cabin Fever』は彼が一人で、インプロヴィゼーション中心にクラシックの曲をカジュアルに弾いているアルバムだけど、僕は9〜10歳の頃に聴いて「自分はこういうことがやりたい」って思ったんだ。レニーは天才だった。僕はもちろん彼を知らないが、彼と共演したプレイヤーたちを知っていた。オーケストレーターとしても達人だったよ。ラルフ同様、レニーも「ギターで何ができるか」を理解していたんだ。同時に彼はフォークロア風のフィンガースタイル・ギターやクラシックのフィンガースタイル・ギター、ジャズギタリストとしてのビバップの表現との境界線を曖昧にしていた。誰にも真似できない、包括的なプレイヤーだったよね。

――子供の頃に聴いたというのは、お父さんに聴かせてもらったんですか?

父か、もしくは先生が僕と父に「レニー・ブローを聴いてごらん」と言ったのか…どちらかだったと思う。レニーは本当に美しいプレイをするんだ。誰もがきれいなギターを弾くわけではないけど、彼が弾くギターはとてもきれいで、繊細で、メロディアスで、僕にはとても魅力的だったよ。

――彼は過小評価のひとですよね。そんなマニアックなミュージシャンの音楽に子供の頃から触れていたというのはすごいことですね…

ああ、とんでもない過小評価だよ。そういうプレイヤーは大勢いるね。でも彼ほど音楽への貢献度が高いのに、過小評価しかされないのは本当に驚かされる。トリオ、ソロ、デュオでも素晴らしい作品を残しているし、シンガーとも、プレイヤーともやっている。今はYouTubeで彼のビデオも観られる。すごいことだよね。演奏を聴いてはいたけど、その姿を見られるわけだからね。

――あと、ビル・フリゼールの話も聞きたいんです。トータルな音楽家としてのビル・フリゼールの話をあなたはいつもしていますが、「色んなバージョンのギタリスト」の意味で、ビル・フリゼールのどんなところがすごいと思いますか?

言いたいことは山ほどあるけど、簡単に答えるね(笑)ビルの重要な点の一つは、彼がギターを弾く際の動きが、弦と一体になっている点だ。ギターを「興奮させて弾く」タイプのギタリストっているよね。でも、ビルは弦にとって何が最善かを考える人だ。だから彼が弾くと、音程はぴったりと合う。ただ音を鳴らすだけで、音楽が輝きを一層増す。しかも音量やアイディアの巧妙さや力や速さでそうするのではなく、音を「精密に調整する」んだ。だから彼はいつも自分の手を見て弾く。無理に指を伸ばしたりせず、身体の動きも最小限に抑えて、アクロバティック的なことはしない。彼が弾くと…なんていうんだろ、ギターが気持ちよさそうに見えるんだ。ギターが幸せそうで、音も幸せそうで、言葉にするのは難しいけど、ギタリストとして彼のそういうところがとても面白いなと思う。つまり自分のためだけではなく、ギターや音楽のために演奏しているんだ。空間の使い方や想像力の活かし方、意外な場所での対比の見せ方、どこにビートを置くか…。ジャズバンドにおけるサックス奏者に近い気がするよね。ある種の緊張感を生み出し、エフェクトペダルを1秒間だけ使ってすぐにオフにすることで興奮を生み出すところとか、まるでオーケストラを演奏しているようだよ。他にも言いたいことは沢山あるけど、この辺にしておくよ(笑)

――あなたの話を聞いて思い出したんですが、以前ビルにインタビューした時、彼は「ギターを弾く時は、管楽器を吹くみたいに息を吹き込む」と言ってましたね。

それはあるね。彼はクラリネットを吹いてたから、その感覚が理解できるんだろう。僕は管楽器の経験がないんだけど、きっとすごく役に立つんだろうなぁ。

――そんな変わった弾き方をするビルですが、系譜という意味で、ビルの前に存在する人っているんでしょうか?

ジャズなら、チャーリー・クリスチャン、ジム・ホール、ビル・フリゼールという系譜だと思う。でも、ビルにはアメリカン・ミュージックやソングライターの系譜とも繋がりがあると思うよ。たとえばボブ・ディラン、ジョージ・ハリスン…彼はアメリカ人じゃないけどね。他にはリッチー・ヘイヴンスみたいなポピュラー音楽のギタリストからも。決して、そういうプレイをするわけじゃないけど、ギタリストとしてその伝統も踏まえていると思うんだよね。

――今も名前が出ましたが、ジャズギターの系譜となるとアメリカ人が中心です。でも、あなたが以前言及していた話したデレク・ベイリーのようにイギリス人も大きな貢献をしてきました。ジョン・マクラフリン、アラン・ホールズワースなど、イギリス人のギタリストについて、あなたはどう捉えていますか?

彼らが世界で最も優れたギタリストだということを考えると、イギリスには何かがあるんだろうね(笑)。正直、なぜそうなのか、そこまで歴史は知らない。でも、ジェフ・ベックも含め、彼らは皆イノベーションを重視するプレイヤーだった。戦後のイギリスで育ったあの世代にとって、「そこそこ良い」だけでは満足できなかったんだろうね。何か特別なことをして、卓越した、際立った存在になる必要があったんだ。そこが彼らに共通したコンセプトだと思う。ホールズワースもただ速いだけじゃなかった。彼のハーモニックな情報量、楽曲の構築美は、どこか宇宙的でさえあった。マクラフリンも同様で、彼の音楽はインド文化やスピリチュアリティと繋がっていた。ジェフ・ベックのギターも単なるブルース、ロックに止まらず、まるで南インド古典(カルナーティック)音楽の歌唱法のようだった。つまり彼らは本質的に複数のカルチャーを結びつけたんだ。デレク・ベイリーが面白いのは、そんなカルチャーの一つであり、特にジャズの世界では黒人カルチャーと考えられていた即興音楽に、真っ向から向き合った点だよね。彼はエヴァン・パーカーをはじめとした仲間たちとそれに取り組んだんだ。他人から盗むのではなく、自分たちのアプローチを探し、新しい音楽を作った。それはイギリス人プレイヤーたちに一貫するとても革新的で、深い何かだと思うよ。

――あと、もう1人、変わったギタリストと言えば、ガボール・ザボ…

ああ!

――きっとお好きだと思っていました。

うん、大好きだよ。

――どんなところが面白いですか?

不思議な話だけど、子供の頃、僕はカルロス・サンタナのビデオを持ってて、そこで彼が影響を受けた3大ギタリストとして挙げていたのが、ウェス・モンゴメリー、ボラ・セチ、そしてガボール・ザボだった。僕が8、9歳の頃だね。それで聴いたところ、すぐに好きになった。彼はアコースティック・ギターをジャズのコンテクトで弾きながらも、単なるジャズでもポップスでもない、新鮮で革新的なサウンドを出していた。その後、ずっと存在を忘れてたんだけど、5年くらい前にまた聴くようになったら、僕が書いた曲の多くがガボール・ザボみたいだったことに気づいたんだ。自分でも気付かないうちに、いっぱい彼から盗んでたんだね(笑)。彼はまるでシンガーだ。ギターが彼の声。大声で外に向けて叫ぶわけじゃないけど、強いエネルギーを感じさせる。特にドラマーやパーカッションと絡む時は、アコースティック・ギターでサステインが少ないせいもあるんだろうけど、まるでギターが「もう1つのドラム」のような存在になるんだ。レニー・ブローやボラ・セチといったフィンガースタイル奏法のプレイヤーたちにもその資質はあるよね。でも彼はそれをピックでやる。彼の演奏は「ドラムギター」って感じだよ。僕にとっても、フリゼールにとっても、ギタリスト全員にとって重要な存在だ。しかもガボールはチャールス・ロイドのバンドでやっていたよね。だから、僕もチャールス・ロイドとやるようになった時、ガボール・ザボの昔の作品を聞き直し、彼から学べることが沢山あることに気づいたんだ。

――今、名前が出ましたが、ボラ・セチもアメリカの音楽シーンにとって影響を持ってたひとですよね、きっと。気づきませんでした。

当然だよ。僕はボラ・セチのことはそれほど詳しくないんだけど、ディジー・ガレスピーとやったことは知ってるし、ナイロン弦ギターを弾いていて、ある種のハイブリットというか…彼はブラジルの出身なんだっけ?アメリカのジャズ・カルチャーに自分のカルチャーをミックスしていたよね。一つ言えるのは、彼の演奏には喜びがあるということ。ギターは喜びに満ちた、ワクワクする、魅力的な楽器だと感じさせてくれる。全てのギタリストがボラのように表現できるわけじゃない。彼の演奏を聞くたびに「なんて楽しいんだ、ギターが弾きたい!」って思わせてくれるんだよ。彼のことも、もっと多くの人によって語られるべきだね。

――「喜び」は今、あなたがやっていることにすごく通じるものですよね。

うん。僕にとっても、それは喜びなんだ。真剣でありながらも、喜びになり得る。僕が好きなプレイヤーは皆、その喜びを隠さない人たちだった。別に笑顔でなくてもいいんだよ。たとえばジム・ホールにはユーモアのセンスがあった。いたずらっ子が楽しんでいるかのようだった。ジョン・アバークロンビーにはまた違う雰囲気があって、とても想像力に満ちていた。想像力、喜び、好奇心…そういった様々な感情があり、組み合わせはなんでもいい。大切なのは、そういった感情を育んでいくこと。真剣で、上手いだけの演奏では面白くないんだ。僕らが好きなミュージシャンには、皆どこかミステリアスで、闇と光の両方を持ち合わせていて、それを寛大に表現する。だからリスナーとして「あ、僕にそれを与えてくれてるんだな。カーテンをひいて見せてくれてるんだな」と感じることができるんだ。

――前回、今日…とギターのたくさん話をしてきました。あなたがアーティストとして、ギタリストとして、研究して分析して、自分なりに把握していて凄いなと思います。一方で、あなたはピュアなリスナーの部分を残してるのが驚異的だといつも思うんですよ。

それってすごく大切なんだよ。

――どうすれば、プロとして自分の音楽を深く追求しつつ、リスナーとしても音楽を楽しめるんでしょう?

これはとっても難しいんだよ!大学時代、僕はそれを失くしかけたことがあったんだ。子供の頃はファンとして音楽を聴いていたのに、大学に行ったら、判断力を失ったみたいに思えた。「これを好きであるべきだ」と言われて好きになっているかのような…もしくは、本当は好きじゃないと思ってもそれを認めず「自分が好きじゃないのは、僕の知識が足りないからだ」と思って、勉強してみたり。バークリー音楽院は大好きだったけど、そこを出て、ファンの心を取り戻すまでには何年もかかった。僕の中にある「これは好きだ。これは退屈だ。これは自分に合わない。これはいいけど、こっちの方が好きだ」といった様々な反応や直感が、実はプロのミュージシャンにはとても役に立つんだ。だって最終的に、僕とコンサートに来てくれるお客さんとの共通点は、そういった感覚だからね。僕らが演奏する相手は学校の他の学生じゃない。ただ、音楽の持つ感情やパワーを伝えたいなんだ。それを失わないことが大事なんだと思う。だから聴く力を失わないよう、聴く練習をしてるよ。レコードをかけ、一つのことに集中して、音色や音程だけを聴いてみたり、今度はオーケストラ全体を聴くようにしたり…と練習をする。そうしないと感覚を失ってしまうんだよね。

――あなたが好きなギタリストを語る時は子供が憧れのスポーツ選手の話をするみたいだなって思うんですよ(笑)そこがすごいなって。

ははは(笑)実際、僕はそんな気持ちだからね。

――そのリスナーを残しているのはあなたの音楽にも出ているんじゃないかなと思うんです。僕も大学でジャズ史を教えているんですけど、そこは伝えたいところなんですよ。

ありがとう、そう言ってくれて。僕は今、ステージにホルへとデイヴと上がっているよね。彼らはスコット・コリー、ジョン・ゾーンとも共演する最高峰のミュージシャンたちなんだよね。そのことに気づくと「自分は今、歴史の一部として演奏してるんだ」と思えるんだよ。「この彼らは、あの彼らなんだ!」って感覚というのかな。ヒーローたちだって、かつては30歳のミュージシャンだったわけだよ。歴史は常に作られているんだと思うと、僕らのヒーローたちがやってきたことだって何かとても人間らしいことに感じられるんだ。だから「歴史を愛するということは、今のこの瞬間を愛することもである」と僕は考えてる。だから、僕は毎晩、ホルヘが素晴らしい演奏をするのをこの目で見られる僕は本当に幸せだなって感じるんだ。歴史が作られるその場に居合わせ、それを自覚してるだなんて幸せなことだよね。だからこそ彼を余計にリスペクトする。ポール・チェンバースを聴いても、チャーリー・ヘイデンを聴いても、「ホルヘが今やってることはこういうことだ」って思える。僕にとって(彼らとホルヘの間に)差はないんだ。歴史は学んだらしまい込んで、あとは自分のことをする…というのとは違う。いつも生きている。僕はそう思うよ。

――いやー、素晴らしい。

   

■リリース情報

ジュリアン・ラージ
AL『スピーク・トゥ・ミー』
2024年3月15日リリース UCCQ-1198 SHM-CD ¥2,860 (tax in)