わ〜う。2023年2月5日に発表された第65回グラミー賞における<最優秀新人賞>部門の結果を受けて、驚きを漏らした人も少なくなかったのではないか。
 グラミー賞は膨大な部門があって真っ昼間から表彰式が行われ、夜のゴールデン・タイムに入るとメインの賞の結果発表がなされる。そうしたなか、“グラミー賞の中のグラミー賞”となるのが、シングル曲が対象となる<年間最優秀レコード賞>、アルバムが対象となる<最優秀アルバム賞>、作詞/作曲者が対象となる<最優秀楽曲賞>、そして将来有望な新人を対象とする<最優秀新人賞>の4部門であると言われる。

 今年のメインの賞は、順に張りのある歌声が魅力のR&Bシンガーのリゾ、英国人のハリー・スタイルズ、ベテラン女性ロッカーのボニー・レイットという、ポップ・ミュージックのフィールドにいる人物が選ばれるなか、新人賞にはなんとジャズ歌手のサマラ・ジョイが堂々選出された。しかも、彼女はといえばR&Bやヒップホップの要素も取り込むコンテンポラリー・ジャズ派ではなく、オーセンティックな純ジャズ志向の歌手であるのだから、これは驚かされた。

 ちなみに今回<最優秀新人賞>にノミネートされたのは、ブルー・ノートが送り出したやんちゃジャジー・ポップ系デュオのドミ&JD・ベック、今様な響きが魅力的な英国人女性デュオのウェット・レッグ、ブラジル出身のキャラ立ち女性歌手のアニッタ、曲作りの才も持つ経験豊かなR&Bシンガーであるムニ・ロング、20代前半の女性ラッパーのラトー、イタリア出身のグラマラスなロック・バンドであるマネスキン、俳優でもあるラッパーのトベ・ンウィーグウェ、ブルー・グラス発アメリカーナの実力者であるシンガー/ギタリストのモリー・タトル、自作派シンガーのオマー・アポロという面々。何気に女性や米国属性以外の担い手が候補として今回選出されていたと指摘できるが、いずれにせよ面々は今時の風を受け止めて自らの表現を作り出そうとしている人たちだ。

 そうしたなか、サマラ・ジョイは他の候補者たちとはあまりにスタンスが異なる。だって、気を衒うところゼロの、がっつり過去の財産を真っ向から受け止める純ジャズ・シンガーなのであるから。ではあるものの、そんなリアル伝承派とも言える彼女は1999年生まれとめっぽう若い。大学時代から頭角を放っていた彼女は在学中に、インディーからセルフ・タイトル作をリリース。偉大な先達歌手の名前を容易にあげたくなるその本格的な歌唱が認められ、米ユニバーサルのジャズ部門であるヴァーヴから声をかけられたという経緯をサマラ・ジョイは持つ。そのメジャー作『リンガー・アワイル』が本国でリリースされたのは昨年の9月。つまり、彼女は広く世に紹介されてたった半年弱で、グラミー賞の全ジャンルを対象とする<最優秀新人賞>を獲得してしまったのだ。

 ところで、ジャズのフィールドにいる担い手が<最優秀新人賞>をゲットしてしまったのは、ドレイクやジャスティン・ビーバーらを押し退けた2011年のエスペランサ・スポルディング以来となる。その後、エスペランサはジャズならではの飛躍の意識と他の様々な音楽語彙への好奇心と自らの鋭敏なパーソナリティが綱引きする文字通りの“ニュー・ミュージック”を鋭意問うているわけで、まさにサマラ・ジョイの今後の飛躍が期待されるというものではないか。とはいえ、越境派エスペランサと異なり、サマラ・ジョイは変わらずに自然体でジャズに対峙していくだろう。彼女には、そうした地に足をつけた穏健さがある。

 それにしても、どうして彼女はグラミー賞の基幹部門に見事選ばれたのか? 一つの要因は、あまりに彼女がまっすぐに王道のジャズ・ヴォーカルにあたっている事実が導く、澄んだ情感やポジティビティではないだろうか。アコースティックなジャズという変わらなくてもいい伝統あるスリリングな様式に真っ直ぐに体当たりしている姿は、流行りの音作りを介しつつ現在進行形の担い手としての姿を出さんとする他の新進に負けない鮮烈さや強さを抱えると判断されても不思議はない。ましてや、彼女は23歳。その若さもたいそう魅力的だ。というか、そんな年齢で経験や成熟が必要とされる、しっとりした大人のジャズ・ヴォーカル表現を完璧にものにしてしまっているという、その不可解な構図はなんか抗しがたい“引き”を持つ。そのあまりに秀でている実力が、グラミーの評価軸を覆してしまったのだ。

 事実、『リンガー・アワイル』(同時に、<最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム>も受賞している)は基本シンプルなピアノ・トリオ+ギターで伴奏される。だが、それでなんの不足もない。いや、そうであるからこそ、ジャズという決定的な様式のもと堂にいった歌声を思うまま泳がせる彼女の尊さは際立つ。また、サマラ・ジョイが繰り出すメロディの自在の崩しや奔放なスキャットこそは、現在のR&B歌唱において必要とされるスキルであることも超然と示してはいないか。彼女のピュアにして瑞々しい歌唱には、米国黒人音楽ならではの連続や継承を再認識させる。深読みになってしまうが、もしそういうところにも着目されての受賞であるならグラミー賞はあっぱれだ。

 書き遅れたが、ここで彼女が歌っているのは自作曲でなく、往年のスタンダードやジャズ曲。やはり、それもポップ・ミュージック側をも見渡す基準においては異彩を放つ。目新しさや新奇さがすべてではない。物事には振り返ったり、立ち返ったりすると吉と出る、豊穣にして示唆に富んだ“スタンダード”がある。それもまた、サマラ・ジョイの人力100%の表現が毅然と指し示す美点だ。

 今回のサマラ・ジョイの栄誉を期に、状況が変わる可能性に期待したくもなる。これを期に、本格的なジャズ・ヴォーカルや味わいたっぷりのスタンダード・ソングに門外漢から注目が集まったりはしまいか。また、ノラ・ジョーンズ登場時(彼女は2003年グラミー賞の<最優秀新人賞>を受賞した)に彼女のフォロワーがいろいろ出てきたように、サマラ・ジョイに触発された歌い手が今後出てきたりはしないか。ジャズの魅力を十全に表出しつつ、深さと流麗さを併せ持つサマラ・ジョイの歌に酔いしれながら、ぼくはそんなことも考えてしまうのだ。

    

【作品情報】
サマラ・ジョイ『リンガー・アワイル』


Header image: Samara Joy. Photo: Meredith Truax.