そんなネルスのブルーノートからの4作目『Consentrik Quartet』がリリースされた。これまで3作を全く異なるプロジェクトで発表してきたネルスだけに今作もまた異なるプロジェクトだ。トム・レイニー、クリス・ライトキャップ、イングリッド・ラブロックとのカルテットで、これまでの中でもNYのアンダーグラウンドなジャズの要素が強いものになった。ネルスのブルーノートからのリリースに外れはない。
実はこれまで日本のメディアではネルスのブルーノートからの作品に関してはあまり触れられてこなかった。そこでせっかくなのでその4作品を振り返ってもらうことにした。過去作を振り返りながら語ってもらうことで、ここ10年のネルスの音楽的な志向が浮かび上がってきたような気もする。
――まず、ブルーノートからどんな感じで声をかけられたのか聞かせてください。
いや、声はかけられてないんだ。
――あ、そうなんですか。
長くなるので手短に話すと…『Lovers』は僕が20年以上構想していた、夢のプロジェクトだったんだ。作家で音楽プロデューサーの友人、デヴィッド・ブレスキンが会長を務めるShifting Foundationと、ロスのジャズ・コミュニティ支援団体Angel City Artsの支援で実現したもの。初めてデヴィッドに会ったのは、彼の詩とエド・ルシェのアートワークから構成されるプロジェクト用に曲を委託された時だ。それは『Dirty Baby』としてドイツのPrestelから書籍として、その後、Cryptogramaphone Records から2枚組CDとしても2010年にリリースされた。
で、何年も経ったある時、デヴィッドから「君にとって、まだ実現できていない夢のプロジェクトはなんだ?」と聞かれたので『Lovers』というビッグ・バンドの作品だと答えたんだ。でも制作には莫大な費用がかかる。するとデヴィッドは、80年代に設立したShifting Foundationを『Lovers』実現のために一新し、復活してくれた。つまりあれは Shifting Foundationの資金のみによって2013年にレコーディングされたんだ。
――ブルーノートと全く関係がないところで自分で制作してたんですね。
当初はとあるレーベルから出す予定で、ミキシングもマスタリングもすべて終わっていたんだが、そこからは出せなくなった。それで、当時ウィルコのマネージメントだったトニー・マルガリータの助言で、Alstro Imprintという僕のレーベルから出すことにし、デヴィッドと2人、友人のアンジェラ・デ・クリストファロのイラストを使ったジャケットをデザインした。そんな時、僕の日常業務のアシスタントをしてくれてるベンが、ギグのアフターショーでドン・ウォズに会い、僕が自主で出そうとしてるアルバムの話をしてくれたんだ。信じられない話だが、それがきっかけだ。結果的にアルバムを聴いたドンとレイチェルとブルーノートは気に入ってくれて、ライセンス契約で2016年にリリースされたのさ。
――そんな長い経緯があったんですね。『Lovers』はドン・ウォズが聴いたら「絶対うちで出す」という内容なので、彼がライセンスしたがったのはすごくわかります。
もうすぐ10周年なので、来年のどこかで、最低1〜2回『Lovers』を再現するショーをやりたいと思ってるよ。
――その『Lovers』なんですが、すごく美しいし、すごくおもしろいアルバムだと思います。コンセプトはどんなものなのでしょうか?
またしても長い話になるが…。『Lovers』は僕のそれまでのどんなアルバムともまるで違う唯一無二のプロジェクトで、元々はもっとダークなムードを想定していた。考え始めたのは、80年代、遅くとも90年代初めごろだ。
――そんな壮大なプロジェクトだったんですね
僕はウエストLAのレコード店で10年くらい働いていたんだ。その店ではあまり価値のないレコードを買い取ってはnickel record(5¢レコード、廉価盤)として二束三文で売っていた。その中にはムード・ミュージックと呼ばれるようなものがたくさんあった。ジャケットは、シースルーの服を着た女性とトロピカルな木、後ろ姿の男がタバコをくゆらせてる…という意味深なやつで、音楽自体はいいものもあれば、ひどいものもあった。90年代になるとドイツの出版社から、そういうジャケットだけを集めたアートブックが出されたりもしてたけど、当時は今みたいなコレクターもいなかった。その店では仕方がなく全部トイレに置いてたくらい(笑)
――ははは。
そんな時「単なるロマンスのためではないムード・ミュージックがあったら?」とふと考えたんだ。というのも、この手の音楽のイメージって、“暗い灯りの中、洒落たステレオで流し、カクテル片手に、知りもしない相手との距離を縮めるためのBGM”だろ? でも、”もっとダークでリアルな親密さやロマンスがもたらす影の部分を描くものだったらどうだろう?”ってね。そんなことを、音楽だけでなく映画からもインスピレーションをもらいながら、考え始めた。たとえばダークで物議を醸した映画『愛の嵐』への僕なりのシャーロット・ランプリングへのオマージュが「The Night Porter」とミシェル・ポルタルの「Max, Mon Amour」の組曲なんだ。もしくは「The Search for Cat」。あれはヘンリー・マンシーニの『ティファニーで朝食を』で使われながら、タイトルもついてなかった曲。他にはジミー・ジュフリーの「Cry, Want」は常にリストに入っていた曲だね。でも、長く温めていた間に、候補曲はどんどん変わっていった。最初の構想から25年近く経っていたからね。
――なるほど。
「いい加減、曲を決めないと」ってのもあったし、最初は自分でもアレンジもやるつもりで考えていたんだけど、つい先延ばしにしてしまっていた。アレンジは得意じゃないからね。そんな時に妻の(本田)ユカを通じて知ったマイケル・レナードのNYのアパートで食事をしながら、そのアルバムの話をしたんだ。へンリー・マンシーニやクインシー・ジョーンズ、ギル・エヴァンスの話になったら、その流れで彼が「手伝わせてほしい」と言ってくれた。すぐにデヴィッドに「協力者が見つかった。これでようやく完成させられる」って連絡して、曲を決める段階に入った。その頃、僕自身の人生は随分変わっていてね。ずっとハッピーな人間になっていた。だから、アルバムも自然と軽やかなものになったんだ。当初考えていた(ドイツの映画監督のライナー・ヴェルナー・)ファスビンダー映画のような陰鬱でタブーを破る不穏な作品ではなく、光と影、濃淡や微妙なニュアンスがあるものになったんだ。「Beautiful Love」や「Secret Love」は最初から入れるつもりだったけど、結果的にアルバムの“明るい瞬間”になったよね。
――少しずつ変化した結果、ここに落ち着いたと。
同時に、このアルバムには、さりげなく大勢のギタリストへのオマージュが込められているんだ。たとえば、アンビシャス・ラバーズの「It Only Has To Happen Once」。一般的にはジャズとは思われないかもしれないが、僕にとっては美しいジャズソングなんだ。この曲では、歌いながら独特のギターを奏でるアート・リンゼイだけでなく、マーク・リボーがやっていたMarc Ribot Y Los Cubanos Postizosへのオマージュとして、12弦ギターを弾いている。
「Secret Love」にはジム・ホールへの敬意を込めたよ。所々で、僕が70年代から持ってた日本盤レコードの『Live in Japan』でのジムのプレイを似せて弾いている。この頃、僕とジムは親しい友人になってたから、『Lovers』には彼が楽しんで、ニッコリ笑ってくれそうな小さな仕掛けを忍ばせたんだ。でも、ストリングスとハープの録音の最終日、ジュリアン・ラージと僕がスタジオに入っていたその日に、ジムは亡くなってしまったので、彼にアルバムを聴いてもらうことはできなかった。決して僕は彼のように弾けるわけじゃないし、近づくことすらできない。それでも、ジムへの愛はいっぱい詰まっているんだ。
他にも「Lady Gabor」ではガボール・ザボ、そして古い友人であるビル・フリゼールへの愛すら聴こえてくるはずだよ(笑)。そんなふうにこのアルバムには、一見するとわからない、ギターへのオマージュがさりげなく織り込まれているんだ。
――ムード・ミュージックというカテゴリーではギターはよく使われていた楽器ですよね。それを21世紀に入り、改めてやるというのは、実に批評的で挑戦的なプロジェクトだと思ったのですが、いかがですか?
そのことは意識しないようにしたよ。でなければ、やれなかったと思う。考えたのは、感情を込めることと、音楽の一貫性、あとは特にジャズ・スタンダードをやるからには下手な演奏はできない、ってことだけ。君の言う通り、ギターはポピュラー・ミュージックのおかげもあって、大きな存在になってるよね。僕も最初はロックンロールの人間だった。僕が聴いてたのはプログレッシヴ・ロック。ギターに関しては何も知らない、ガレージ・ロック、ブルース・ロックのギタリストみたいなものだった。でも70年代半ばから後半にかけては興味がなくなって、真剣にジャズを、そしてギターを弾くことを学び始めたんだ。

『Lovers』でギターを“声”に選んだのは、確かに挑戦だった。だってごく最初の段階から、スタン・ゲッツの『Focus』のようなアルバムがイメージとしてあったからね。それはエディ・ソウター風アレンジってわけじゃなくて、僕が全体の“声”にならなきゃって意味。ギターに求められるものは大きかった。たとえば(マイルス・デイヴィス)『Sketches of Spain』や『Focus』におけるホーン、もしくはポール・デスモンドやチャーリー・パーカーがストリングスとやったことをギターに置き換えて想像すると、それは僕には難しいものだと感じられた。でもムード・ミュージックの枠でなら、リヴァーブが効いたtwangギターにトレモロをかければ、皆すぐにそのサウンドを理解してくれる。それって、多くの人がギターを愛し、理解してるおかげだよ。ギターをやっててラッキーだったよ。もしフレンチホルンやトロンボーン奏者だったら、今頃、僕はスターバックスあたりで働いてるかもしれない。ギターならそこそこの演奏でも通用するだろ?(笑)。でも「これがフリー・ジャズだ!」って感じで下手なアルトを聴かされるのはたまったもんじゃないとも思ってしまう。ギターなら下手でも…と言うか、プリミティヴでrawなギターならいけちゃうんだ。実際、僕もそういうの大好きだったりするしね。
――『Lovers』がそういう経緯で出たとなると、ブルーノートからの本当の意味での最初のリリースは2018年のネルス・クライン4での『Currents, Constellations』で、その次は2020年のネルス・クライン・シンガーズ『Share The Wealth』です。ブルーノートでネルス・クライン・シンガーズやろうと思ったのはなぜですか?
2014年にジュリアン・ラージとデュオアルバム(『Room』)をMack Avenueから出したんだ。そこは以前、シンガーズの『Macroscope』を出したレーベルだ。ジュリアンとやったことは僕の人生で最も美しい出来事の一つと言えるくらい、大きな発見だった。デュオとしてツアーし、リズム・セクションを入れるならどうしようか、誰とやろうかと話し合っていた。
でもその頃、僕はNYに移ることになった。今も一緒にやってるドラマーで作曲家のスコット・アメンドラはまだカリフォルニアにいて、トレヴァー・ダンはブルックリン、後から加わるシーロ・バプティスタはニュージャージー州モントクレアにいた。その頃、僕はシンガーズをどうしようかと考え始め、その答えがわからずにいた。そして、ジュリアンとのカルテットもまだ試せていなかった。最初はジュリアンと僕が共同でカルテットを率いるつもりだった。でも彼はMack Avenueを離れ、僕はBlue Note に移ったばかり。共同リーダーでリリースするには複雑すぎる状況だったから、とりあえず僕のバンド、ネルス・クライン4として進めることにして、4〜5曲デモを録音したんだ。それをドン・ウォズに聴かせたところ「いいね、これをやろう」と言われ、デモの3曲をそのまま、残り2曲を再録音し、さらに2曲を書き加えて、アルバムを作った。
――なるほど。
そこから数年後、シンガーズを6人編成バンドに変えたのが『Share The Wealth』だった。つまり僕は「僕の対」になる存在が欲しかったんだ。それを特に感じたのは、ジュリアンとやったことがきっかけだった。2人がお互いを聴き合いながら即興をする関係は、実に自由だった。もう自分だけが「メロディにおけるト音記号の世界の唯一の声」にはなりたくなかった。だから、『Share The Wealth』ではシンガーズの人数を増やしたんだ。ってこれは君の次の質問に答えることになるのかもしれないけど…自分だけがメインの声でいることは、僕を神経質にさせたし、自由が妨げられる気がしていた。もっと自分と同じ音域の人たちと会話をしようと思ったんだ。僕らのやってきたことは「パワートリオ」とか言われてきたけど、ネルス・クライン4は今回の『Consentrik Quartet』に近いと言えるね。より直接的なアプローチで、電子機器やエフェクやインディ・ロック的要素も減らしたいという、僕の気持ちの反映なんだ。
――なるほど。
インディ・ロックという言い方は嫌いだけど、シンガーズはジャズを演奏しつつも、インディ・ロックとは切り離せない。ストレートや、フリーな即興演奏、コード進行に乗っての演奏もあるけれど、実のところはヘヴィなインディ・ロックなんだ。当時の自分はシンガーズのための曲も書いていたけど、それをどうすればいいのかわからなくなっていた。だから、6人編成のバンドに変えてやったのが『Share The Wealth』。アルバムの半分は即興演奏で、わざわざ曲を書いたりしなかった。あの時も、デモがそのままアルバムになった。2日間で色々と録音し、編集したが、途中で最初のアイデアが間違っていることに気づき、当初の予定を変更した。そしたら、またしても2枚組アルバムが出来てしまった!あまりに変わってて、エレクトロニックで、長すぎるアルバムなので、まさかブルーノートが出すとは思ってなかったよ(笑)
――そもそもブルーノートを想定してなかったんですね(笑)
そう。それなのにドンったら「素晴らしいよ!」と言ってくれたんだ。ともかく、あの時点で僕はシンガーズのあり方を考え直さなきゃならなかったってこと。
――あなたはキャリアも長く、共演経験も豊富ですよね。そんなあなたにとって、なぜジュリアン・ラージはそんなに特別な存在になったのでしょうか?
説明するのが本当に難しいんだよなぁ…。彼も僕も、自分たちでは気づいていない何かを探していた時期だったのかもしれない。そして一緒にやり始めたら、それがそこにあった。ツアーが始まり、ヨーロッパ、アメリカ、カナダと回るうちに「これはいずれ終わって、消えてしまうものなのだろうか?」と考えたことを覚えてるよ。
ジュリアンはそれまでフリー・ミュージックはあまりやってなかったと思う。2人で小さなメロディやハーモニーのアイデアをsquibs(小さくてつまらないもの)と呼んで、それをフリー・インプロヴィゼーションで繋げるアイデアを話し合ったりしてたんだ。もっともわかりやすい例が、僕が書いた「The Scent of Light」(『Room』収録)という長い曲だ。決められた部分の間に、完全に自由な即興が挟まれている。あれを演奏できたのは、ジュリアンのリラックスした素晴らしい人間性のおかげだと思う。彼のテクニックの凄さを考えたら、怖気づいても不思議じゃなかった。でも実際はその真逆で、実に解放的で、彼も協力的だったんだ。ジュリアンとの演奏は、かつて双子の兄弟のアレックスと一緒に演奏していた時みたいだった。僕とアレックスは一卵性双子だからテレパシーがあるんだ。今は亡きエリック・ヴォン・エッセンとも、彼とジェフ・ゴーティエと組んだカルテット・ミュージックでも、同じようなテレパシーを感じながら演奏していた。互いの音を聴きながら、それぞれが自分の道をいく、そんな演奏ができる相手は滅多にいない。とても解放的なんだ。エレクトロニクスは何も使わない。チューナーすら使わず音叉を使った。リヴァーブをかけることもなく、あるのは楽器だけ。ジュリアンと演奏してると、僕が自分の演奏が一番好きになれるんだ。彼となら、どんなアイデアでも試せる気がして、失敗を恐れることもない。僕は心配症(worrier)なんでね。戦士(warrior)じゃないよ!
――新作『Consentrik Quartet』は新しいメンバーとのバンドです。まずコンセプトから聞かせてください。
NYでトム・レイニー、クリス・ライトキャップとのトリオをしばらくやっていたんだ。トムとは20年前、アンドリュー・パーキンスと即興のトリオで数枚レコーディングして以来の付き合いだ。クリスとはデヴィッド・ブレスキンを通じて知り合い、NY時代に彼のインスト・ロック・バンドSuperetteにサブで参加したのがきっかけで、さまざまな音楽で意気投合した。彼はジャズ・ベーシストというだけでなく、ロックやソウル、エレキベースにも精通していて、演奏も素晴らしい。また、イングリッド・ラブロックはNYで多くのミュージシャンと共演している売れっ子なんだ。そんなトムとクリスとのトリオで、2018年にNYや日本でギグをした後、ブルックリンのクラウン・ハイツのThe Stone(ジョン・ゾーンがブッキングするアート・ギャラリー)で2日間のギグをやったんだ。1日目はトリオ、2日目は「イングリッドを入れたらどうだろう」と思い、即興でやってみたらすごくいい感じだった。その時点で、次のプロジェクトはこれかな?と思ったんだ。
2019年、フィラデルフィアのArs Nova Workshopの助成を受けて、カルテット用の曲を書き、アメリカ東部で演奏することになった。Ars Novaのマーク・クリスマンは、これがジュリアンを含むネルス・クライン4プロジェクトだと思っていたから「ジュリアンは自分の道を進んで、成功をおさめてる。彼をブッキングするのは難しい」と伝えたんだ。そもそも『Lovers』でジュリアンがリズム・ギターを弾いてたことを考えると、さすがに贅沢すぎる起用法なわけだしね。まあ、それで「この新しいカルテットではどうだろう?」とマークに話し、助成を申請したら通ったんだ。ところがパンデミックが起こり、2年間演奏できなかった。あの頃の僕はインスピレーションも沸かず、音楽から離れていた。音楽より炊き出しのボランティアとか、社会のためになることをしたい気持ちの方が強かったから。それでも助成金のことがあったから少しだけ曲を書いていた。アルバムの半分を占めているのはそんな曲なんだ。
――これもかなり長い時間やっていたプロジェクトだったんですね。
各メンバーの素晴らしさについてはいくらでも語れるけど、何よりもこの4人が一緒になった時に生まれる、暖かくてクールなフィーリングが最高なんだ。僕はバンド人間だから、それが一番大事なんだ。もしトムがそのギグに出られないとなったら、そのギグは中止する。そういう意味では、僕はジャズよりもロックの人間なんだろう。ジャズはメンバーの組み替えがきくけれど、僕はこのメンツとやりたい。それが僕らの音楽だから。僕が書く曲は自分を満足させるためじゃなく、メンバーそれぞれの声や感性をイメージして書いたものなんだ。
――今作はイングリッド・ラブロックが入ったことで、ギターとサックスの組み合わせがすごく面白いものになっています。イングリッドの魅力についても聞かせてください
イングリッドの演奏は実に明瞭だ。それでいてスタイルが幅広い。一つに収まらず、ときに大胆で、エヴァン・パーカーやペーター・ブロッツマン、ファラオ・サンダースでもお馴染みのタンギングとか高次倍音といった高度かつ特殊な奏法も巧みに操る。かと思うと、同じくらい明瞭で魅力的でメロディアスなサウンドも出すことができる。個人的には「The 23」や「Slipping Into Something」みたいなグルーヴィーで心地よくてコード・チェンジのある曲を持ち込むのは最初はちょっと気が引けていたんだ。でも、メアリー・ハルヴァーソンのオクテットでの、彼女のクレイジーなコード・チェンジやソロを聴いて気が変わったよ。だってすごく明晰だけど大袈裟すぎず、論理的で、トーンも美しく、しかも自由に飛び出すこともできるんだ。それは僕を幸せにしてくれる最高の組み合わせだよ。
――サウンド的にはコンセントリック・カルテットはネルス・クライン4の時と近い部分がありますよね。
ああ、エレクトロニクス的加工はずっと控えめで、それは意図的だ。たとえば『Share The Wealth』で僕らは何時間も何年もかけて音を作り込み、プロデュースしたみたいに聞こえるけど、実際はライヴ演奏をエレクトロニクスで大きく加工している。そうやって音をマニピュレートしたサウンド作りは僕には自然なことなんだけど、ネルス・クライン4やコンセントリック・カルテットで頭に浮かんだのはよりシンプルなものだった。あまり色をつけず、加工しすぎないものにしたかったってこと。でも結局は—- 特に「House of Stream」ではギターを歪ませたり、ループしたり、ディレイもたっぷりかけてるけどね。僕がやるとどうしてもそうなっちゃうんだ。
――ここまであなたがこれまでにリリースしたブルーノートのアルバムの話を伺ってきました。ジャンルにとらわれずに活動しているあなたの音楽にとってジャズの要素ってのはどこにあるものなんでしょうか?
ジャズを聴き始めたのは高校生の時で、最初は何を聴いているのかよくわからなかったけど、ただ「これは好きだ」と感じたんだ。僕が惹かれたのは、主にインストゥルメンタル・ミュージックとしてのジャズ。ジャズ・ヴォーカルを軽視したわけじゃない。何よりも、声としての楽器同士の対話やリズムの概念に心を奪われたんだ。スウィング、そしてアフリカやラテン由来の影響を受けたリズムは、ロックンロールやサーフ・ミュージック、R&Bにはあまりない要素だったから。ティン・パン・アレイで生まれたポップ・ミュージックは、和声的に洗練されていたけど、それをジャズ・ミュージシャンがさらに発展させ、個性を加え、即興の素材として使い始めた。その流れは、僕が惹かれるシンプルでありながら、和声や色合いという面で洗練された音楽につながっていった。たとえば、初期のデューク・エリントン・オーケストラの録音を聴くと、ハーモニーもヴォイシングも本当に美しく、魅惑的だ。そんな楽器同士の会話、ハーモニー、そして当時の僕にとっての新しいリズムが重なり合って、僕はジャズに夢中になったんだと思うよ。

――なるほど。
ある時、双子のアレックスと初めてトニー・ウィリアムスを聴いたときに、ドラマーが2人いるんじゃいかって思ったんだ。それで僕たちは「こいつはドラムで何をやってるのか?」と考え始めた。これはほんの一例。誰もが楽器で何かを語る。そんな刺激的で魅惑的な宇宙に僕はひきこまれていったんだ。でも「ジャズとは何か?」を定義づけるのはくだらないことかもしれない。ジャズという言葉そのものに疑問を抱く人も多いし、それにはそれなりの理由がある。だから僕はいつも「ジャズ」とカギカッコをつけて書くんだ。固定概念として捉えてるのではなく、柔軟であるべきだからね。どんな伝統であれ、伝統は今も生き続けている。防虫剤を入れてしまいこみ、そのまま永遠に同じ姿であり続ける必要なんてない。今も生きて、成長しているんだ。
――さっきスタンダードの話をしていました。ジャズ・ギタリストとしてスタンダード集を出す気持ちはありますか?例えば、デレク・ベイリーが晩年、スタンダード集を出していましたけども。
ないよ、ないな。でもデレク・ベイリーのあれは天才的と言えるアルバムだった。彼は次元の違う天才だからね。
■リリース情報
ネルス・クライン AL『Consentrik Quartet』
2025年3月14日(金)リリース
収録曲目:
01. The Returning Angel
02. The 23
03. Surplus
04. Slipping Into Something
05. Allende
06. House Of Steam
07. Inner Wall
08. Satomi
09. The Bag
10. Down Close
11. Question Marks (The Spot)
12. Time Of No Sirens
パーソネル:ネルス・クライン(g, effects)、イングリッド・ラウブロック(sax)、クリス・ライトキャップ(b, effects)、トム・レイニー(ds)
★2024年2月13~14日、7月27日、ザ・バンカー・スタジオにて録音