2019年10月、ニューヨークのリンカーン・センターでECMの50周年記念コンサートが開催された。ECMと縁のあるアーティストたちが次々とステージに登場し、華やかなムードの中でECMらしい緊張感溢れる演奏を繰り広げていった。その中に、ニック・ベルチュの姿もあった。オンライン配信で見ることができた彼のピアノ・ソロは、この日のハイライトの一つだった。硬質なタッチでミニマルなフレーズを弾く演奏は、ピアノが打楽器でもあることを強烈に印象付けると共に、その鳴りを極限まで追い込んでいくプロセスを聴くようだった。それは、ピアノ・ソロというよりも、研ぎ澄まされたミニマル・ミュージックやエレクトロニック・ミュージックに近いサウンドに聞こえた。
スイス、チューリッヒ出身のピアニスト、作曲家のベルチュは、モバイルとローニンの二つのグループ、それにソロの3つの柱を活動の基盤としてきた。ベルチュの言葉を借りれば、モバイルは「純粋なアコースティック音楽を演奏するグループ」で、ローニンは「禅・ファンク・カルテットであり、より柔軟に、より自由に作曲したものを演奏する」、ソロでは「プリペアード・ピアノとパーカッションを使って自作曲を演奏する」という。
ベルチュは、活動の初期にモバイルの『Ritual Groove Music』(2001年)、ローニンの『Randori』、ソロの『Hishiryo: Piano Solo』(共に2002年)を立て続けにリリースした。モバイルとローニンの作品はその後もコンスタントにリリースを続け、モバイルの『Stoa』(2006年)以降はECMに活動の場を移している。“Ritual Groove Music”はアルバム・タイトルであると共に、ベルチュの音楽を象徴するコンセプトでもある。リチュアルとは、作法の枠組みの中で演奏することを指していて、特に反復するグルーヴの中で表現される。そこには、かつて日本に滞在した経験を持つベルチュが、合気道と祭祀儀礼の音楽に影響を受けたことも具体的に反映されている。
「魅力を感じたのは、サウンドと音楽の空間構成だ。2003年、2004年に日本に行き、音楽、非暴力で調和のとれた合気道のような武術、そして瞑想を学んだ。これらは、自分の音楽や一緒に演奏する姿勢に重要な影響を与えている」(※1)
ローニンの“Zen Funk”では、反復するグルーヴとして、ファンク・ミュージックが具体的に顕れる瞬間がある。モートン・フェルドマンやリゲティに惹かれて現代音楽も学んだベルチュは、同時にプリンスやビル・ウィザース、ミーターズの音楽も好んだ。モバイルとローニンのドラマーで、ティーンエイジャーの頃からベルチュと共にジャズを演奏していたカスパー・ラストは、ローニンが表現するグルーヴをこう説明している。
「ローニンで演奏する時はすべてのパターンが連動しているため、最初の1秒から非常にタイトでなければならず、そうでなければグルーヴ感が得られない。バンド全体がグルーヴであるため、リズムのバランスを取るのが難しい」(※2)
確かに、その演奏はドラムが加わっていない瞬間も含めて、全てがタイトなグルーヴから成り立っていると言っても過言ではない。それは、“Modul”(モジュール)と呼ばれるベルチュの楽曲によって表現されたものでもある。モバイル、ローニン、ソロとして発表されてきた楽曲のほぼ全てに、“Modul”のタイトルが付けられ、番号が添えられている。“Modul”は固定された最終的な楽曲ではなく、テンプレートのようなもので、“Modul”を発展させたり、複数組み合わせることで、新たな作曲や演奏、即興のアイディアを得ることができるという。それが、“Ritual Groove Music”の構成単位を成している。“Modul”による演奏を、ベルチュはあらゆる状況に対応できる武道の基本的なトレーニングになぞらえてもいる。ローニンとして最も新しいアルバム『Awase』(2018年)のリリース時には、「“Modul”は全部で62あるが、まだ20くらいは録音されていない」と述べている(※2)。
ベルチュとグループの演奏は、“Modul”によって全てが構成されているのだが、そのことは規則正しい、規律のある冷静さを必ずしも意図しない。モバイルやローニンの録音は、時折、グルーヴに乗って発せられるベルチュの声を捉えているが、エモーショナルな要素も生成させる。厳密に記譜され、構造化された作曲に対して、自由を成立させる即興演奏が不意の力強さやヴァイタリティを出現させる瞬間があるのだ。ベルチュはそのことを、「禁欲主義によるエクスタシー」と表現している(※3)。
『Hishiryo: Piano Solo』以来となるピアノ・ソロ作が『Entendre』だ。ラストの“Déjà-Vu, Vienna”を除き、“Modul”から構成されたアルバムである。収録された5曲の“Modul”は、これまで発表されたアルバムでも演奏されている。各曲が登場した既発のアルバムを以下に列記した(ライヴ盤は除く)。
1. Modul 58_12
Nik Bärtsch’s Ronin『Awase』“Modul 58”
Nik Bärtsch’s Mobile『Ritual Groove Music』“Modul 12”
Nik Bärtsch’s Mobile『Continuum』“Modul 12”
2. Modul 55
Nik Bärtsch’s Ronin『Llyrìa』
3. Modul 26
Nik Bärtsch’s Ronin『Rea』
Nik Bärtsch’s Mobile『Aer』
4. Modul 13
Nik Bärtsch’s Ronin『Randori』
Nik Bärtsch『Hishiryo: Piano Solo』
5. Modul 5
Nik Bärtsch’s Mobile『Ritual Groove Music』
Nik Bärtsch『Hishiryo: Piano Solo』
Nik Bärtsch’s Mobile『Continuum』
冒頭の“Modul 58_12”は、スピーディに進行する“Modul 58”のメロディラインと、空間を埋めていく“Modul 12”の緩やかなメロディラインが重ね合わされて、複雑なレイヤーを出現させる。“Modul 55”は、ローニンの演奏の全てのパートをピアノ/プリペアード・ピアノに置き換えたかのようだ。“Modul 26”は、ローニンの演奏で見られたポストロックを思わせる反復性やダブ的なディレイを、ピアノのミニマルなフレーズの重なりに変換している。“Modul 13”は、ヘヴィーなベースラインのようなメロディの反復と残響が際立っていた19年前のピアノ・ソロと比較すると、曲の構造は同じだがより研ぎ澄まされた、いまの時代に響くサウンドとして再構築されている。モバイルで演奏された“Modul 5”は、トライバルなグルーヴにピアノが打楽器として加わることで細分化していくような展開がスリリングだったが、ここでは細かなタッチのみを抽出し、『Hishiryo: Piano Solo』よりも遥かにシャープな音像で元のエモーショナルな部分を新たな感覚で響かせている。また、ラストの“Déjà-Vu, Vienna”は、“Modul”のクレジットはないが、ローニンのライヴ盤『Nik Bärtsch’s Ronin Live』(2012年)に収録された“Modul 42”と同じメロティラインが登場する。
ベルチュは、2017年にイラン、エジプト、インドなどを巡るソロ・ツアーを行った。また、イギリスのビジュアル・アーティストのソフィー・クレメンツとのパフォーマンスにも取り組んできた。そして、ECMの記念コンサートでの演奏が実現した。それらは、グループでの演奏を離れて、ピアノに向き合う機会を与え、自身のピアノ・ソロが何処に立脚しているのかをより明確にさせた。
「ソロ曲でのタッチは、ピアノにジャズ的に取り組むことを第一義とはしていない。それは物事の間にある。室内楽、クラシックの伝統的なソロ演奏、より現代的なミニマル・ミュージック、そしてグルーヴという側面との間に」(※4)
そう断言するベルチュの『Entendre』は、ジャンルレスではなく、正しくジャンルの狹間にある音楽を提示する、真の意味で開かれたピアノ・ソロだ。それは、セロニアス・モンクやレニー・トリスターノからラン・ブレイクやジョージ・デュークまで、多様なジャズ・ピアニストからの影響を表明してきたベルチュの矜持でもあるだろう。
※1
https://downbeat.com/news/detail/nik-baertsch-wants
※2
https://www.moderndrummer.com/2006/12/kaspar-rast/
※3
https://www.nikbaertsch.com/solo
※4
『Entendre』のプレスリリースより
Header image: Nik Bärtsch. Photo: Claude Hofer / ECM Records.