ヴァーヴ・レコードは、ほぼ 70 年にわたってジャズ・ミュージシャンの要となってきた。1956年にノーマン・グランツがエラ・フィッツジェラルドの新しいレコードをリリースするために設立したこのレコード会社は、世界で最も重要なジャズ・カタログの本拠地となっている。ヴォーカル・ジャズからビ・バップ、ラテンまで、チャーリー・パーカー、ニーナ・シモン、オスカー・ピーターソン、アビー・リンカーン、ハービー・ハンコックに至るまで、数え切れないほどの偉人たちのキャリアをサポートしている。

ノーマン・グランツ。Photo: Michael Ochs Archives via Getty.

これほど幅広いカタログを扱うことはどのような感覚なのだろうか。喜びや難しさはいかなるものなのか。その答えを見つけるべく、ヴァ―ヴ・レコードの社長、ジェイミー・クレンツ氏に話を聞いた。

ジェイミーは時差ボケと戦いながらも、前日にアメリカからロンドンに到着したばかりで、エネルギーと熱意にあふれていた。ヴァーヴ・レコードの社長になることは、1998年にレコード会社に入社したときには、彼が思い描いていたキャリア・パスではなかった。「まったくの偶然だった」と彼は回想する。「私はバンドで演奏していて、ツアーの合間に金を稼ぐ必要があった。バンドで稼いでいなかったからね。それで、バイト感覚で仕事を始め、2~3週間そこにいて、無料でCDを何枚かもらって、それで帰ろうと思ったんだ。それが1998年のことだったよ!」と彼は苦笑いしながら振り返る。

ヴァーヴ・レコードの歴史的な成功は信じられないほどだ。これまでにリリースされたジャズ・アルバムの中で最も影響力のあるアルバムのいくつかは彼らのカタログに収められており、グラミー賞の受賞数も増え続けている。注目すべきものとしては、2023年のサマラ・ジョイの新人賞、2022年のジョン・バティステの11回のノミネート、5回の受賞が挙げられる。では、これほど成功したレーベルのトップになるのは、信じられないほど大変なことなのだろうか?「そうだね、レーベルの伝統と歴史を考えると、期待に応えなければならないことがたくさんある」と彼は考えながら語る。「チームとしてやってきた仕事を誇りに思う。ヴァーヴとアーティストにとって、ここ数年は非常に良い年だったが、私たちは常に現役アーティスト、カタログの両方に奉仕していて、カタログにも多くの時間を費やしている。非常に積極的に取り組んでいるんだ。私はそれを連続体として見ているよ」

彼は日々どんなことに業務の時間を割き、どのようにそれら全てをこなしているのだろうか。「1日の3分の1はエラ・フィッツジェラルドやニーナ・シモンのアルバム制作、3分の1はサマラ・ジョイのようなアーティストとの仕事に、そして残りの3分の1はマーケティングプランを検討したり、クールなヴァーヴの帽子の制作など、ファンに直接販売する商品を検討したり – そんな1日があってもおかしくないよ」

ヴォーカル・ジャズは、常にヴァーヴ・レコードの礎となっている。ジェイミーは、カタログを「ラシュモア山のようなもの」と表現している。これらのカタログは多くの人にとって、ジャズへの最初の一歩となる可能性もある。「ヴォーカル・ジャズは幅広い魅力を持っている」と彼は語る。「私は前衛音楽、挑戦的なビ・バップなどのジャズ・ファンだ。しかし、ヴォーカル・ジャズを他の種類のジャズへの入り口として利用することも可能だよね。エラやサマラ・ジョイの音楽はとても親しみやすく、それがきっかけでジャズに足を踏み入れ、その後『ああ、私はスタン・ゲッツやオスカー・ピーターソン、シャバカ・ハッチングスが好きなんだな』と、私たちが一緒に仕事をしている人たちの音楽を発見するかもしれない。だから、カタログは絶対に目を離すことができないものなんだ。」

サラ・ヴォーンは、1957 年 8 月 23 日にニューヨークのランドールズ アイランド ジャズ フェスティバルで演奏しました。Photo: Bob Parent via Getty.

多彩な顔ぶれのヴォーカリストの中には、今年生誕100周年を迎えたサラ・ヴォーンもいる。彼女とよく比較される現代の歌手は、現在グラミー賞を複数回受賞している24歳のサマラ・ジョイだ。彼女のバックグラウンドはゴスペル。幼少期から教会で歌い、アメリカ有数のゴスペル音楽一家の出身だ。デビュー・アルバムで最も大胆な選択の一つは、「ゲス・フー・アイ・ソウ・トゥデイ」(Guess Who I Saw Today)というめったに取り上げられることのない名曲をカヴァーしたことだった。彼はそれをどう思ったのだろうか。「その曲がトラックリストにあるのを見て、きっとあなたが思ったようなことを僕も当時思ったよ。『おお、大胆だね!』ってね。でも、彼女はそれをやってのけた。なんたって、彼女はサマラだからね」

「彼女はジャズを歌い始めてまだ5~6年だが、ある意味一生ジャズを研究してきた人のように、ジャズに対する怯みを持っていないんだ」。 アーティストとして自分の道を模索している彼女にとって、サラ・ヴォーンと常に比較されるのはどのようなことなのだろうか。 「確かによく比較される」とジェイミーは言う。「でも、人々が単に『彼女はサラ・ヴォーンに似ている』と言うだけでは捉え方がシンプルすぎるように思う。言っていることはよく分かるけどね。音色やフレージングの問題もあるし、もちろんサマラはサラ・ヴォーンが大好きだけど、『ゲス・フー・アイ・ソウ・トゥデイ』は、彼女が『私はこの曲を私自身のものにしてみせる』と言っている良い例だと思うんだ」

ジェイミー・クレンツ(写真右端)は、2023年2月4日、サマラ・ジョイ、ディッコン・スタイナー(ユニバーサル・グローバル・クラシックス&ジャズおよびヴァーヴ・レーベル・グループの社長兼CEO)とともに、サー・ルシアン・グレンジ(左から2番目)の2023年アーティスト・ショーケースに出席した。Photo: Lester Cohen/Getty Images for UMG.

ヴァーヴの名を連ねる伝説のアーティストたちと比べると、今日のアーティストは音楽で表現するだけでなく、ソーシャル・メディアの課題にも取り組まなければならない。これはさらなるプレッシャーだ。ジェイミーは、それが相当なものになることもあると考えている。「それは人によるだろうね。ごく自然にソーシャル・メディアで表現できる人もいるし、ソーシャル・メディアでうまく機能する自分のやり方をすぐに見つける人もいる。でも、これは私が望んでいたことではないと言う人もいる。『私は本当に音楽だけに集中したかった。ファンは私が朝食に何を食べたかとか、今日誰が犬の散歩をしたかなんて知る必要はない』とね。理想なのは、アーティストたちが自分にとって最適な方法を見つけることだと思う。それが自分の私生活に関することでないならば、別の方法を見つける。 でも、それはとても大変なこと。特にPRやツアー、レコード制作、作曲などをこなさなければならないとなると、ソーシャル・メディアは第二の仕事になると思う。でも残念ながら、それをやっていないと、完全にゲームに参加しているとは言えないんだ」

そのような状況の中、ヴァーヴ はアーティストに対してどのようなサポートを提供しているのだろうか?「レーベルには、アーティストのこうしたサポートに専念する部門が存在する。でも正直に言うと、私たちが投稿したりコンテンツを作成したりすることは可能だが、それが本物で、アーティストからファンに向けられたものでなければ、オーディエンスとは繋がらないんだ。思った効果が得られず、バイラル化もしないと思う。だから、私たちがそこにいて、多くのリソース、ベスト・プラクティス、ガイダンスを提供できる一方で、アーティストはそれに取り組む方法を自分で見つけなければならない。フェアではないかも知れないが、それが今私たちが生きている世界だと思う」

ストリーミングが何百万人もの人々の音楽へのアクセス方法となっている今、それらの音楽業界への影響についてどう考えているか、またストリーミングによってアルバムの時代は終わったのかどうかについて、ジェイミーはどう考えているか興味があった。ジェイミーは思慮深く答える。「ストリーミングはおそらく私たちにとって最大の課題だろう。なぜなら、8分間の曲を作っているアーティストや、7分間ヴォーカルが入らないアーティスト、インストゥルメンタル音楽を作っているアーティストがいるからね。でも、状況は好転している。今ではあらゆる種類のプレイリストが存在する。最近のトップ・ヒットだけではない。気分やライフスタイルの要素が増えたし、それらのプレイリストは瞑想にも最適だ。勉強のプレイリストにも合うよね。でもアルゴリズム的には難しいということは言えると思う」

アルバムについてはどうだろうか?「アルバムは死んでいないと思う!」と彼は叫んだ。「作品全体を通してじっくりと眺め、最後まで聴けるレコードを作るアーティストはまだいるし、そういうアーティストが生まれる余地も十分にあると思う。特にヴァーヴのようなレーベルはやや中道左派だが、中道ポップのアーティストにとっては間違いなくシングル中心の空間なので、それが常に当てはまるかどうかはわからない。しかし、私たちにとって、アルバムはまだ生きている。私たちは今もレコードをたくさん作っているし、世界の一部の地域では意味のあるCDも作っている」

ヴァーヴが現代のリスナーの多様性と関わるクレバーな方法を見つけたことは間違いない。『Great Women of Song』シリーズはその一例だ。ジェイミーはこれらのシリーズを発見の出発点と見ている。「ストリーミングの問題の1つは、何百万もの曲にアクセスできること。どこから聴き始めればいいのだろうか。フィルターはどのようなものか。オーディエンスにはそういった入り口を提供する必要があると思う」

ジャズの未来はよく話題にあがる。ジャズは将来も生き残れるのか、それとも、もっと幅広いものに変化するのか?ジェイミーは、今が「私が生きている中でジャズにとって最高の時期」だと考えているため、その点についてはあまり心配していない。しかし、重要なのは、アーティストが時代を超えて残る世代のレコードを作っているかどうかだと彼は考えている。「ヴァーヴやブルーノートのようなレーベルの素晴らしいところは、50年代、60年代のレコードをいつまでも聴き続けられること。私たちは、今日音楽を作っているアーティストにも同じ基準を適用すべきだと思う。それが今私たちが求めていることなんだ。2024年に音楽を作っている人が、2054年に人々が聴くレコードを作っても、時代遅れに聞こえたり、流行を追いかけているようには聞こえたりしないだろう」

ジェイミーはベーシストとしてキャリアをスタートしたが、彼のベース・ヒーローが誰だったのだろうか。「エレクトリック・ベースでは、ダニー・ハサウェイと共演したウィリー・ウィークスが大好きだ。最近亡くなってしまったが、ボブ・マーリーと共演したアストン・バレットと、アレサ・フランクリンと共演したジェリー・ジェモットも大好き。ダブル・ベースでは、チャールス・ミンガスがお気に入りだが、レイ・ブラウンも大好きだよ。2人ともまったく異なるタイプのベーシストで、演奏する音楽も違うが、この2人が私のお気に入りなんだ。今日では、クリスチャン・マクブライドが存命のベーシストの中で最高の人物であり、とてもクールな人物だと思う。彼はニューポート・ジャズ・フェスティヴァルのプログラムを担当しており、まさにルネサンスな人間だよ」

1971年、ニューポート・ジャズ・フェスティバルで演奏するチャールス・ミンガス。Photo: Gai Terrell/Redferns via Getty.

彼の仕事の楽しみのひとつは、彼の音楽界のヒーローに会えることだ。その1人はピノ ・パラディーノ。「彼はインパルス・レーベルでレコーディングをしている」とジェイミーは語る。「彼がオフィスに来ることが何度かあったけど、私は彼を徹底的に苦しめたんだ。彼はアルバムやマーケティングについて話すために来たと思っていたようだけど、私は彼がどんな弦を使っているのかを聞いたんだ」と彼は笑う。「私が今までやったことの中で、最もプロらしくないことかもしれないけど、彼はまるで別の惑星から来た人だと思うよ!」

もうひとつの楽しみは、ニューヨークのオフィスにあるレコード・アーカイヴだ。「レコード・アーカイヴには、おそらくこれまでにリリースされたすべてのレコードの 90% が保管されている。オリジナル・コピーや78回転 レコード。シングルもそうだし、ヴァーヴはデッカ、コモドア、インパルスなど多くのレーベルのカタログを網羅しているため、素晴らしいロゴの数々を持っているんだ。ヴァーヴで働き始めた頃は、ランチタイムのほとんどをそこで過ごしたよ」と彼は興奮気味に語る。「そこにいると素晴らしいレコード・ショップにいるような気分になる。ただ中に入ってじっくりと味わうことが出来る。アーティストと契約するときは、必ずそれを彼らに見せるんだ。このレーベルが素晴らしい歴史を持っていることを理解してもらうためだ」

そしてヴァーヴは、そのアーカイヴからフレッシュな音楽を発掘し続けている。つい先日リリースされたルイ・アームストロングのアルバムはその一例だ。「昨年ストリーミングでトップになったジャズ・ソング『この素晴らしき世界』に注目するのは簡単だ」とジェイミーは言う。「でも彼はキャリアで数多くのチャプターを持ったアイコンであり、ジャズの偉大なアンバサダーだった。彼は間違いなく私たちにとって重要なアーティストだ。もうすぐリリースされるプロジェクトがあり、とても楽しみにしている。60年代後半、ルイは晩年に『この素晴らしき世界』をレコーディングしたが、それは賛否両論だった。彼のレーベルの中には、それを好まない人もいた。彼らはそれが適切な雰囲気を持っていないと考え、安っぽいと思ったんだ。アメリカでは特に成功したわけではないが、イギリスではナンバーワン・ヒットとなり、彼は非常に興奮してこちらにやって来た。彼はコンサートやプロモーション活動を行い、BBCでの素晴らしいパフォーマンスを撮影したが、正式にリリースされたことはなかった。そこで、『この素晴らしき世界~ルイ・イン・ロンドン・ライヴ・アット・ザ・BBC』をリリースする。これは素晴らしい作品で、パフォーマンスの質だけでなく、彼が最高の状態だったことが分かるし、美しいフルカラーの映像があるので全ての曲のミュージック・ビデオがあって、彼の最もよく知られているすべての曲と素晴らしいバンドが出演しているんだ。当時、正式にリリースされるべきだったものだった。そして、今、それを実現して花を捧げる機会があることに感謝しているよ」

この素晴らしいサッチモの作品以外に楽しみにしていることは何かと尋ねた。「天才的なマルチ楽器奏者ジュリアス・ロドリゲスの2枚目のレコードがヴァーヴからリリースされる。そしてシャバカ・ハッチングスの新作もインパルスからリリースされる。彼はサックスを手放して、フルートを演奏している。シャバカは日本で多くの時間を過ごして、尺八の名手たちから学んでいるんだ。私たちはとてもクレイジーで慌ただしい世界に生きていると思うけど、これらの作品は信じられないほど美しく、瞑想的な音楽で、とても必要とされていると思うんだ。リアナ・フローレスというイギリスの若い女性アーティストとも契約した。少し前に彼女の1曲がものすごく話題になったんだ。ボサ・ノヴァとイギリスのフォークをミックスしたようなサウンドだ。彼女のデビュー・アルバムも今年リリースされる。これらはほんの一部なんだ。そして素晴らしい再発盤が山ほどあり、それに素晴らしいアナログ盤もある」

彼は、次の会議に急いで向かうために立ち上がりながらこう言った。「私の仕事は本当に最高の仕事。ぜひオフィスにお越しあれ。アーカイヴをお見せするよ」。言うまでもなく、お言葉に甘えたいと思う!


ジュモケ・ファショラはジャーナリスト、アナウンサー、ヴォーカリストであり、現在はBBCラジオ3、BBCラジオ4、BBCロンドンでさまざまな芸術・文化番組を担当している。  


ヘッダー画像: オレンジ色のビニール盤に収められたヴァーヴ・レコードのゲッツ/ジルベルト。Photo. AP Photo/Robert F. Bukaty via Alamy.