1917年、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドが史上初のジャズによる商用レコーディングを行った当時から、レコード会社は音楽出版社と協力し、特定の楽曲を売り出すメリットを理解していた。
ジャズ・スタンダードを広めた最初のアーティストと言えばルイ・アームストロングだ。彼はジョニー・グリーンの「ボディ・アンド・ソウル」、ファッツ・ウォーラーとアンディ・ラザフの「浮気はやめた(エイント・ミスビヘイヴン)」、W.C.ハンディの「セントルイス・ブルース」などを録音し、人気を博した。1930年代には、ジョージ・ガーシュウィン、コール・ポーター、アーヴィング・バーリン、ホーギー・カーマイケルといった作曲家が数多くの初期ジャズ・スタンダードを産み出した。
しかし、現在広く演奏されるジャズ・スタンダードの多くは、ビ・バップ以降の時代に生まれたものだ。チャーリー・パーカーの「ビリーズ・バウンス」や「オーニソロジー」、ディジー・ガレスピーの「チュニジアの夜」、さらにはウェイン・ショーターの「フットプリンツ」、ジョー・ヘンダーソンの「リコーダ・ミー」などが代表的な例である。
では、ジャズ・スタンダードとは何か? 最も重要な要素の一つは、オリジナルの楽曲が大成功を収めたか、と言う事だ。この流れは、1931年のルイ・アームストロングによる「スターダスト」から、1960年のジョン・コルトレーン「ジャイアント・ステップス」へと続く。「ジャイアント・ステップス」は、“コルトレーン・チェンジズ”と呼ばれる革新的なコード進行を特徴とし、もう一つの重要な要素、つまりミュージシャンがフェイクブック(リードシート)を通じて学ぶ事ができ、即興演奏のインスピレーションを得られる楽曲であるかどうか、と言う事が求められる。
では、代表的なジャズ・スタンダードをいくつかご紹介しよう。
1962年9月17日、デューク・エリントン、チャールス・ミンガス、マックス・ローチは、アルバム『マネー・ジャングル』のレコーディングのため、ニューヨークのサウンド・メイカーズ・スタジオに集まった。ミュージシャン同士のスタイルの違いから、ミンガスが一時退出してしまったのは有名な話だ。
この様な緊張感のあるセッションで産まれたのが、ポスト・バップ期を代表するトリオ作品の一つである。「キャラヴァン」は、エリントンとファン・ティゾールが作曲し、1936年に初レコーディングされた、最も多くのアーティストにカバーされたジャズ・スタンダードだ。
サックス奏者のジョー・ヘンダーソンは、後に多くのジャズ・スタンダードを生み出したが、その中でも最も有名な作品は、1963年にブルーノートからリリースされたアルバム『ページ・ワン』に収録されている「リコーダ・ミー」で、わずか15歳の時に作曲したものだ。この曲はジャズ教本やフェイクブックに頻繁に取り上げられ、マッコイ・タイナーからグレッグ・オズビーまで、長年に渡り様々なアーティストによってレコーディングされてきた。『ページ・ワン』には、トランペッターのケニー・ドーハムによる「ブルー・ボッサ」の初録音も収録されている。この曲もまたジャズ・スタンダードとなった。
ロジャース&ハマースタインのミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』から引用されたジョン・コルトレーンの「マイ・フェイヴァリット・シングス」は、1966年5月28日にヴィレッジ・ヴァンガードでライブ録音された。このナンバーは、1961年にソプラノ・サックスでデビューしたコルトレーンの14分に及ぶモーダル・ジャズの名演として最初に録音され、それ以来彼のレパートリーとなっていた。しかし、1966年のある夜に演奏され、インパルスからリリースされた『ライヴ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン』に収録されたバージョンは、コーラル・モチーフを残しつつフリー・ジャズの激しい作品へと変貌を遂げた。
オリヴァー・ネルソンの作曲家・編曲家としての天才ぶりを示す、インパルスからのアルバム『ブルースの真実』に収録された「ストールン・モーメンツ」は、ジャズ・スタンダードの要素を全て備えている。印象的なフック、マイナー・キーの12小節ブルース進行、そして多くのミュージシャンに解釈の余地を与えている点である。1978年にはマーク・マーフィーが歌詞を付けたバージョンを録音し、フランク・ザッパやユナイテッド・フューチャー・オーガニゼーションなどもカバーしている。
ジャズ界では、1970年のアーマッド・ジャマル・トリオのアルバム『ジ・アウェイクニング』や、1966年のブッカー・アーヴィンのアルバム『ストラクチュアリー・サウンド』に収録されたバージョンが特に有名だ。
ハービー・ハンコックの「ウォーターメロン・マン」は、多くのアーティストにより様々なスタイルで演奏されてきた。トランペットのフレディ・ハバード、テナー・サックスのデクスター・ゴードン、ベースのブッチ・ウォーレン、ドラムのビリー・ヒギンズのクインテットをフィーチャーした1962年のデビュー・アルバム『テイキン・オフ』に収録されたこの曲は、ハード・バップとソウル・ジャズを融合したスタイルで録音された。翌年、モンゴ・サンタマリアが自身のアルバム『ウォーターメロン・マン』でラテン・アレンジのバージョンを発表し、1963年のニューポート・ジャズ・フェスティバルでジョン・ヘンドリックスがボーカルを加えたことで、ジャズ・スタンダードとしての地位を確立した。さらに1973年、ハービー・ハンコック12枚目のアルバム『ヘッド・ハンターズ』でこの曲をヘビーなジャズ・ファンク・スタイルへ大胆にアレンジし、ヒップホップ界でも広くサンプリングされることとなった。
アンディ・トーマスはロンドンを拠点に活動するライター。『Straight No Chaser』『Wax Poetics』『We Jazz』『Red Bull Music Academy』『Bandcamp Daily』などに寄稿し、Strut、Soul Jazz、Brownswood Recordingsのライナーノーツも手がけている。
ヘッダー画像: デューク・エリントンがスイスのジュネーブにあるビクトリアホールで演奏している。1964年。Photo: Hans Gerber / ETH Library Zurich、Image Archive / Com_L13-0030-0001-0001. (CC BY-SA 4.0)