アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ時代のウェイン・ショーターのサックスを「ジョン・コルトレーンとソニー・ロリンズのパーソナルなアマルガム(合金)」と評したアメリカの批評家がいた。なるほど、たしかにモーダルなフレージングはコルトレーンからの影響が大きいし、巧みな間のとり方やシンプルな音を繰り返すあたりにロリンズ的な要素を感じ取ることもできるだろう。

 しかし、サックス奏者としての、そして音楽家としてのショーターの資質は、明らかにこの二人とは異質なのだと思う。自身が作る曲の不思議なメロディや和音の響きや構成が、サックスの演奏と不可分に結びついている、という点で、ウェイン・ショーターは「コンポーザー型のジャズ・ミュージシャン」なのだ。きわめて個性的で印象的なメロディやリフを書くことができるショーターは、セロニアス・モンクやオーネット・コールマンがそうであるように、インプロヴァイザーとしての特異な個性が、そのままコンポーザーとしての特異さに直結している。

  ここでは、彼が1964年から70年までにブルーノート・レコーズのために録音したリーダー・アルバムを時系列で追うことによって、ショーターが他の誰とも似ていない「ショーター・ミュージック」を開花させ完成させ、そしてソプラノ・サックスを手に新たなサウンドを誕生させていく様子を概観してみたい。

6.『ジ・オール・シーイング・アイ』(1965年10月15日録音)

 60年代のショーター作品の中で、最も多くの管楽器が参加してアンサンブルを聴かせる作品だ。5曲中4曲がウェインの作曲で、ここではウェイン(ts)、フレディ・ハバード(tp, flh)、グレシャン・モンカー3世(tb)、ジェームス・スポルディング(as)の4管が、ウェインの兄であるアラン・ショーター(1932〜1988)作の「メフィストフェレス」にはアランのフリューゲル・ホーンを加えた5管が参加している。リズム隊はハンコック、カーター、チェンバースの3人だ。
 ここで演奏されている曲は、不協和音をたっぷりと含んだ緊張感あふれるテーマのアンサンブルと、それにふさわしいハードで激しい各人のソロからなっている。どのトラックもかなり不穏で混沌とした曲と演奏なのだが、格調と品位が感じられるのはショーターの曲作りだけでなく、リズム・セクション、特にハンコックの貢献が大きいようだ。
 アランの曲「メフィストフェレス」では、ウェインの曲よりもさらに不穏で異様な世界が展開されている。フリー・ジャズの世界にどっぷり浸かり、50代で亡くなったこの鬼才のリーダー作『Orgasm』(1968年)と『Tes Esat』(1971年)を、機会があったら聴いてみていただきたい。

7.『アダムズ・アップル』(1966年2月3日、24日録音)

 前作『ジ・オール・シーイング・アイ』の反動なのか、このアルバムはワンホーン・カルテットでの録音。リズム・セクションはハンコック〜カーター〜チェンバースの3人だ。
 当時ジャズ界で流行していたエイト・ビートを採り入れた「アダムズ・アップル」、ボサノヴァのリズムに乗せて印象的なメロディをウェインが吹く「エル・ガウチョ」、マイルス・バンドでも採り上げた3拍子のマイナー・ブルース「フットプリンツ」、元妻に捧げたと思しき耽美的なバラード「テル」、コルトレーンっぽいメロディを持つシャッフル・リズムの「チーフ・クレイジー・ホース」と、ウェインの楽曲はどれもクオリティが高く、4人のそつのない演奏も相まって、ショーター作品の中ではリラックスして楽しめる一枚だ。「502ブルース」は、形式としてはブルースではない3拍子の曲。この曲はピアニストのジミー・ロウルズの作品で、ショーターとロウルズは互いにリスペクトしあっていたという。

  

8.『スキッツォフリーニア』(1967年3月10日録音)

 ワンホーンでの『アダムズ・アップル』に続くこのアルバムは、ジェームス・スポルディング(as,fl)とカーティス・フラー(tb)が加わった3管編成。安定のリズム隊は前作、前々作と同じ3人だ。
 冒頭の「トム・サム」は、エイト・ビートに乗ってスポルディングのアルト・サックスがリフを吹き、そこにテナーとトロンボーンが絡むテーマが実にかっこいい。「トム・サム」は童話の「親指トム」のことだが、ショーターには「ジャックと豆の木」に登場する大男の足音のオノマトペである「フィー・ファイ・フォー・ファム」や、マイルス・バンドに提供した「ピノキオ」など、「童話シリーズ」と呼びたい曲がいくつかある。

 静かなエイト・ビートの上でのホーンズによるハーモニー、テーマの後のハンコックのピアノ・ソロとスポルディングのフルート・ソロが美しい「ゴー」は、ショーターの隠れ名曲のひとつ。この曲、もしかしたらハンコックの「スピーク・ライク・ア・チャイルド」に影響を与えているのかもしれない。そして愛娘に捧げた「ミヤコ」は、落涙ものの美しいワルツ・バラードだ。

 ショーターがテナー・サックスだけを吹いているブルーノートからのリーダー作はこれが最後。2年5ヶ月後の1969年8月、ショーターはソプラノ・サックスだけを吹いた問題作『スーパー・ノヴァ』をレコーディングすることになる。

  

9.『スーパー・ノヴァ』(1969年8月29日、9月2日録音)

 ショーターがソプラノ・サックスを使い始めたのは、69年2月、マイルスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』のためのセッションからとされているが、実際は68年12月のライヴでも吹いていたようだ。ソプラノ・サックスの可能性に気づいたショーターは、それ以後最後までソプラノ・サックスをテナーと並ぶメイン楽器として愛用した。
 そしてマイルスの『ビッチズ・ブルー』レコーディング・セッションが終わって8日後、ショーターはソプラノ・サックスだけを吹くリーダー作を録音した。それがこの『スーパー・ノヴァ』だ。メインとなるメンバーは、ジョン・マクラフリンとソニー・シャーロックのギター、ミロスラフ・ヴィトウスのベース、ジャック・ディジョネットとチック・コリアのドラムス(チックはヴァイブも)。曲によってはアイアートのパーカッションも加わり、「ジンジ」ではウィルタ―・ブッカーのギターとマリア・ブッカーのヴォーカルがフィーチュアされている。

 もはや従来の「ジャズ」の枠組みを完全に逸脱したここでのサウンドは、フリー・ジャズ的要素が非常に強いのだが、ショーターの楽曲は、それらが解体寸前にまでデフォルメされているとはいえ、力強く美しいメロディを持っている。ヴィトウスの力強いベースがコントロール・タワー的に中央に位置し、2本のギターと2セットのドラムスが左右に分かれて奔放に暴れ、その上でおそろしくテンションの高い演奏を展開するショーター。そしてアントニオ・カルロス・ジョビンの「ジンジ」では、混沌としたイントロの後に美しいギターと歌が登場し、歌っている最中にマリア・ブッカーが嗚咽を漏らす、というハプニングが記録されている。ちなみに、のちにショーターと結婚するアナ・マリアはマリアの妹だ。

   

10.『モト・グロッソ・フェイオ』(1970年4月3日録音)

11.『オデッセイ・オブ・イスカ』(1970年8月26日録音)  

 ショーターがマイルスのバンドを脱退したのは1970年3月のことだった。1974年に発表された『モト・グロッソ・フェイオ』録音はマイルス・バンド脱退直後、そして同年8月に録音された『オデッセイ・オブ・イスカ』はウェザー・リポート結成直前、ということになる。この2作は、基本的には『スーパー・ノヴァ』の方法を踏まえつつ、ブラジル音楽の要素をさらに増やしたもの、と位置づけることができるだろう。
 『モト・グロッソ・フェイオ』では、マクラフリンの12弦ギター、ヴィトウスのベース、コリアのドラムスとマリンバ、パーカッションが『スーパー・ノヴァ』と同じメンバー。そこにデイヴ・ホランドがギターとベース、ロン・カーターがベースとチェロ、そしてミシェリン・プレルがドラムスとパーカッションで加わっている。1曲目のタイトル曲は、12弦ギターとガット・ギター、ベースとチェロ、マリンバとドラムス、パーカッションで室内楽的に始まるが、演奏は徐々に激しさを増していく。ここでショーターが吹いているテーマは、「アナ・マリア」(『ネイティヴ・ダンサー』所収)のメロディの原型のようだ。ミルトン・ナシメントの「ヴェラ・クルス」はフリーなテンポで演奏され、かろうじてメロディが分かるほどにまで解体されている。そしてアルバムの最後に置かれた「イスカ」は、エフェクターを派手にかけたマクラフリンのギターやコリアのマリンバ、ドラムスやチェロが暴れまくる「どフリー」演奏なのだった。

 実験色が強く、リアルタイムで発表されなかったのもある意味無理はない、と思える『モト・グロッソ・フェイオ』に比べると、アルバム全体が一つの組曲だと言える『オデッセイ・オブ・イスカ』は、はるかにまとまりがあるアルバムだ。メンバーは一新され、ジーン・バートンシーニのギター、ロン・カーターとセシル・マクビーのベース、ビリー・ハートとアルフォンス・ムザーンのドラムス、フランク・クオモのパーカッションという布陣だ。

 激しい局面もあれば優しい曲もある起伏に飛んだ作品で、ショーターのソプラノとテナーの説得力が比類ない。スムーズなボサノヴァのリズムが気持ちいい「De Pois Amour O Vazio」での、バートンシーニのギター・ソロも聴きものだ。
 なお、「イスカ」はショーターとアナ・マリアの間に生まれた娘の名前でもあるが、これらのアルバムを録音した時点ではまだ生まれていない。イスカは1972年に生まれ、85年に亡くなっている。

  

 ブルーノートにおけるウェイン・ショーターのリーダー・アルバム録音は、ジャズ・メッセンジャーズを退団する数ヶ月前に始まり、マイルスのバンド在籍時すべてをカヴァーして、マイルス・バンド脱退から数カ月後に終わっている。ショーターがブルーノートに復帰したのは、最後のレコーディングから43年後の2013年のことだった。
 ハード・バップとコルトレーン的なモーダル・ジャズのアマルガムから、他の誰とも違うユニークなコンポジションとサックス演奏を完成させたショーターは、ソプラノ・サックスという新たな表現手段を発見したことがきっかけとなって、さらに新しい音楽を創造しはじめた。『スーパー・ノヴァ』以降の彼の試みの一部は、ジョー・ザヴィヌル、ミロスラフ・ヴィトウスとの新グループ「ウェザー・リポート」へと流れ込んでいったが、ウェザーには収まりきれないブラジル音楽への愛が結実した作品が、1975年の『ネイティヴ・ダンサー』なのだろう。
 ウェイン・ショーターが地球に遺した音楽のほんとうの意味を私たちが理解するのは、もしかしたら何十年、何百年も後なのかもしれない。

(前編はこちら)


Header image: Wayne Shorter. Photo: Francis Wolff / Blue Note Records.